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次回同期会 更新情報

 投稿者:翁長 亨  投稿日:2018年 2月18日(日)09時23分39秒
返信・引用
  26期の皆さん、先日のご挨拶の際、次の同期会の開催時期の目標を今年11月ごろとお伝えした件について、その後の状況をご連絡します。結論から申し上げると、開催時期は年を跨って来年1月あるいは2月まで拡大して検討する必要がありそうです。

会場の選択肢として大きく分けると、前回の自治会館のように公共施設を利用するか、前々回の還暦祝いのようにホテルを利用するかの2つのパターンがあります。前者はコストをおさえられますが6か月以内の予約が原則となっており、後者はコスト高ですが半年以上先の予約が可能です。前者の場合、施設によっては半年以上先の予約について相談に乗ってくれるところもありますが、候補施設のホールは年次行事を行う常連客に既にほとんど1年以上先の週末まで押さえられていることがわかりました。

そのような状況ですが、現在、複数の施設およびホテルに仮予約を入れており、会場の利便性、コスト、開催時期等について、クラス幹事に集まっていただき、相談の上決めたいと考えております。後日、状況を更新しますのでお待ちください。
 
 

仲宗根君のある1日

 投稿者:松川  投稿日:2018年 1月31日(水)21時22分47秒
返信・引用
  今年もまた北イタリアのガルダ湖畔にある妻の実家の伯爵家の庭園で、環境と緑をテーマにしたガーデン祭りが開催される。家は歴史的建造物として国の指定を受けていて、広い庭園内に花や植物や自然食品の展示販売所などが立って多くの入が集まる。

館のあるガルダ湖は有名な観光地だが、近年は少し客足が落ち込んでいる。そこでこのガーデン祭りが考案され、妻の家の家族は全面的に協力することにしたわけだ。

祭りを主催しているのは地元の建築家のグループ。伯爵家では館を3日間開放して、年老いた家族の全員が祭りの顔となって催し物に協力する。家族が無償で活動をするのは、祭りが地域の活性化に寄与すると考えるからなんだ。

西洋には「ノブレス・オブリージュ」つまり「貴族の義務」という伝統的な考え方があるのは、君も知っての通りだ。古い貴族家に生まれた人間には、奉仕活動や慈善事業など、社会に貢献する義務があるとする思想だね。

妻の実家は13、4世紀ごろから続く家柄。二つの貴族家が婚姻を通して一つになった。その一方が13世紀、一方が14世紀に興(おこ)った、と文献にある。恐らく政略結婚ってやつだろうね。昔の貴族社会ではよくあった話さ。

一家はガーデン祭りのほかにもチャリティー夕食会やコンサート、文化・学術会議の場所の提供など、よく地域奉仕に動く。

館でチャリティー夕食会を開くと、時として20~30人の招待客で300~400万円程度が集まったりする。そういう時はキリスト教文化、特に慈善・博愛精神の底深さを強烈に思い知らされるよ。

伯爵家には主な館がそれぞれ違う地域に3軒ある。そのうちの一つ、ガルダ湖畔にある家は一家のメインの建物でパラッツォ(Palazzo=宮殿、館、~宮)と呼ばれる。城と言ったほうがいいかも知れない。アナクロニズムもここまでくればほとんど笑い話の世界さ。
館には妻の親と独身の叔父や叔母が同居している。彼らは団結して伯爵家を守って生きてきたが、皆年老いて一番若い叔父でさえ既に78歳。家のさまざまな行事が一人娘の妻の肩に重くのしかかりつつある。

若い頃は考えもしなかったが、今後は妻の「貴族の義務」に僕が付き合わなければならない事態がますます頻繁に起こりそうだ。
伯爵家には今は妻の老いた母と叔母がいるだけである。しかも義母は独自にも居を構えていて、そこと伯爵家を行ったりきたりする。そういう状況だから、二人の住人を続けざまに失った館の中は、普通以上に寂しくなっている。

僕は妻の実家の伯爵家の活動に付き合って多忙を極めた。

朝10時、湖畔の館を出発。

家のすぐ背後にある、およそ1000メートルの山中にある別荘に行く。別荘は修道院だった建物で、山の家にしては規模が大きい。伯爵家の持ち家はほとんど全てが同じ。大き過ぎて問題が多い。

建物の一部の修復作業がゆっくりながら進展していることを確認して、別荘に付随する敷地内を車で移動してアルピーニ(Alpini)の集会場に行く。

アルピーニとは「アルプスの兵士たち」のこと。アルプスを擁するイタリアの軍隊のうちの山岳部隊のことで、近代的な山岳歩兵隊としては世界で最古の組織である。

北イタリアの男たちは兵役義務に就く時、アルピーニを志望する者が多いが、前アルプス(南アルプスの南)の山々が目前に迫っているガルダ湖地域では、ほとんどの若者がアルピーニになると言ってもよい。

屋敷内にある集会場は、退役したアルピーニたちが親睦のために集まる場所である。そこには教会も建てられていて、元兵士たちにとっては,楽しい懇親会場であると同時に神聖な場所でもある。

彼らは毎年夏に大きな親睦会を催すのだが、その時には土地と建物を提供している伯爵家の全員が招待される。

しかしここ4、5年ほどは親睦会に参加するのは僕と妻の2人だけである。年老いた伯爵家の人々は、兵士らの親交パーティーに顔を出すのもままならなくなっていた。義父と叔父が亡くなった今はなおさらである。

15時過ぎに下山して湖畔の館に戻る。

1時間ほど休憩した頃、湖に面した庭園にざわざわと人群れの声。見るとトラックに積み込まれた椅子を若者らが下ろし始めたところ。

今夜は館でクラシック音楽のコンサートが開催される。これも毎年夏の恒例の行事。

コンサートは、地元住民はもちろん、多くの観光客にも楽しんでもらおうという趣旨で行われる。ガルダ湖畔の自治体が共同で計画して、貴族館や高級ホテルなどに協力を求めている。これも地域振興策の一環という側面があるのは言うまでもない。

地元では古くから「寛大な一族」として知られている伯爵家は、そういう行事には常に最大限の協力を惜しまなかった。もうほとんど妻の代になった現在、僕らが突然そういう伝統を否定すれば大きな波風が立つだろう。

でも正直いつまで続けるのかという疑問が、貴族でもイタリア人でもない僕の中に残らないわけではない。

音楽会は、5月にガーデン祭りが開催される裏庭とは反対側の、湖に面した前庭で開催する予定だったが、天候不良で屋内へ。かつて頻繁に舞踏会が開かれた大広間で行うことにする。

大広間は吹き抜けのとんでもなく高い天井のある空間だが、舞踏会ばかりではなく音楽会もまた良く開かれる場所で、音響的にも評判のいい部屋である。

夜9時過ぎにコンサート開始。

会場は立ち見も出る盛況。人で埋めつくされた。屋外開催ではなかったため、残念ながら入場できない人々も出た。
夜11時、コンサート終了。

夜11時半頃、コンサート出演者や主催者の皆さんと共にレストランへ。慰労反省会。

午前1時半過ぎに帰宅。

という1日だった。
 

仲宗根君のプロフィール

 投稿者:松川  投稿日:2018年 1月28日(日)17時25分50秒
返信・引用
  TVドキュメンタリー・ディレクター。イタリア在住。東京、ニューヨーク、ミラノの順にドキュメンタリー、報道番組を中心に監督、制作。米PBSのド キュメンタリー・シリーズ「Faces of Japan―のりこの場合」により、モニター賞ニュース・ドキュメンタリー部門最優秀監督賞受賞(ニューヨーク)。1990年以降、番組制作プロダクション「ミラノピュー」代表(イタリア)。フリーランスとなってからは兼ブロガー(自称)。 また方程式【もしかして(日本+イタリア)÷2=理想郷?】の解読にも頭を悩ませている愚か者。慶應義塾大学、ロンドン国際映画学校卒。

僕の妻の実家は北イタリアの古い貴族家である。文献や家系図では、家の興りは13世紀頃まで遡(さかのぼ)ることができる。

一家はオーストリア女王のマリアテレジアによって伯爵に叙せられた。マリアテレジアはイタリア語ではマリアテレザである。女王にあやかって付けられた名前はイタリアにも多いが、妻の名もたまたまそのうちのひとつでマリアテレザという。

女王が家に与えた爵位には男女の区別はない。従って、呼び方が女性形になるが、妻自身も伯爵である。同時に彼女は伯爵家の18代目の跡取りでもある。

つまり僕は、ヨーロッパの女伯爵を妻に持つ一介の日本人である。これが僕のカミングアウトだ。

こう書くと大変な女傑と暮しているように聞こえるかも知れないが、妻はいたって普通の大人しい女性である。若い頃はイタリア人らしくピーチクパーチク良くしゃべったが、最近は少し年を取ってきてカラスみたいにギャーギャーわめくこともある。

僕は最近まで、妻と妻の実家の事情を隠す努力をずっと続けてきた。


理由は、今でも大きな存在感を持つ彼女の実家に、僕が経済的に世話になっているのではないか、と人に勘ぐられるのがシャクだったからである。

僕は妻の実家とは良好な関係にあるが、彼女の実家からは一銭の援助も受けたことはない。自分の甲斐性で妻と二人の息子をきちんと養ってきた。しかし、伯爵家のことを知れば、人は必ず玉の輿ならぬ「逆玉の輿」などと陰口をたたくだろう。その方が話が面白い。僕がいくら弁解をしようとも、人の口に戸は立てられない。僕もヤジウマ根性盛んなテレビ屋の端くれだ。それぐらいの認識はある。

とは言うものの、僕はヨーロッパの歴史がいっぱいに詰まった伯爵家の有り様(よう)を、日本人にも知ってほしいと強く思ってもきた。家屋が博物館などになって過去の遺産として展示されている貴族の歴史などではなく、今でも実際に人が住まい、呼吸し、生き生きと活動している貴族館の様子を実体験として味わってもらう。

それはめったにできないことだし、面白くて少しはためにもなる貴重な体験だと僕はいつも信じていた。なぜなら、僕自身にとっての伯爵家とは、いつもそういうものであり続けていたから。

そこで自分の中で基準を設けて、それに当てはまる人だけを家に招待した。その基準とは「僕がギャクタマ男の、怠惰なヨタロー的人物ではないことを知っている人々(笑)」というものだった。

その筆頭は家族や友人である。でも日本で普通に仕事をこなし、生活をしている彼らは、そう簡単にはイタリア旅行はできない。従って数は限られた。

次には仕事関係の友人知人。仕事上の付き合いだから、当然彼らは僕の仕事振りを知っているし信頼関係もある。その流れで、大きくお世話になったNHKとWOWOWのプロデュサーやスタッフを中心とする人々に落ち着いた。つまり僕にとってのいわば内輪の皆さんには、妻と伯爵家のことは実は周知のことではあったのである。

このブログを書き続けるなら、僕はどこかで伯爵家のことを話さなければならないと分かっていた。なぜなら、僕が伯爵家から金銭的な援助を受けていない事実を別にすれば、その家の存在は、イタリアに移住してからの僕と僕の家族の生活に深く関わりを持ち続けてきたし、これからも関わり続ける。僕と妻はロンドンで出会い、結婚して東京に移住し、そこからニューヨークに移り住んで、最後に妻の国ここイタリアにやって来たのである。

また、ブログに記す事柄の中には、伯爵家のことを話しておかなければ、恐らく意味が良く分からないような内容も出てくるに違いない。

僕は思い迷った末にこうしてカミングアウトすることにした。

そうすることで、もしかすると自慢だ、気取りだ、威張っているなどと誤解や曲解を受けることがあるかも知れない、とチラと考えないでもなかった。しかし、そういうことは何をどう書いても必ず起こることだから悩んでも仕方がない。あえて無視して僕は早いうちにこうして告白をしておこうと決めたのである。

僕は妻の出自を自慢したりする気は毛頭ないけれども、根が軽佻浮薄でアバウトでノーテンキな男だから、またできれば常にそうありたいと努力をしているつもりの人間だから、伯爵家の在り方や歴史などをひどく面白がる傾向がある。

カミングアウトをした以上は、そうしたことも今後できるだけ書いていくつもりだが、それを自慢や得意やおごりなどと捉えられても困る。

なぜなら、もしかすると、まさにそれが僕のねらいかもしれないではないか
 

青春時代

 投稿者:月光仮面  投稿日:2018年 1月28日(日)09時27分36秒
返信・引用
  翁長君、松川君、宮里君
こんにちは。僕は君達三名良く知ってます。匿名で申し訳ない。
君達みたいに一銭にもならないクラス会運営に労をおまず参加している人は偉い!!!
僕にはとうてい出来ないことです。
松川君、今もサッカー部のメンバーとは友達しているのかな?
仲宗根君といえば、高校一年で、50メートル6秒6。
最初これ聞いた時、測り間違いだろ?と疑い。聞くと同走者がかなりの俊足で、その彼に大差だったとのこと。納得しました。
サッカー部はみんな仲良さそうでぞろぞろ大勢で歩いていて羨ましかったです。
宮里君、翁長君、そして他の皆さん写真投稿出来るみたいですよ。
失礼しました。
 

ご挨拶

 投稿者:翁長 亨  投稿日:2018年 1月23日(火)17時32分51秒
返信・引用
  那覇高26期卒業生の皆様、3年13組に在籍した翁長 亨です。このたび那覇高26期同期会の会長を山里 清氏から引き継ぎ、次回同期会を担当することになりました。とは言え、数年前までの35年間を県外で過ごした身、いまだ同期の人的ネットワークに乏しいため、関係者の強力なご支援を得ながら進めていきたいと考えております。どうかよろしくお願いいたします。

これまでの4年ごとの開催に対し、還暦祝い以降、2年毎の開催を希望されるかたが多いため、次回は2018年の11月開催をターゲートに計画したいと考えています。後日、前任のクラス幹事に集まっていただき、重任/新任を明確にして連絡網を作り、全体計画を練っていくつもりです。基本は低予算で楽しめる同期会です。

決定事項は、都度、当ホームページにアップしていきますので、時々アクセスいただくようお願いいたします。

同期会会長  翁長 亨
onaga@iiot.or.jp
080-1277-5033
 

イタリアより②

 投稿者:松川  投稿日:2018年 1月20日(土)10時58分36秒
返信・引用
  僕はシチリア島にたくさんの友人がいる。最近は仕事がらみで出来る友人も多いが、イタリアに住み着くずっと以前からの友人もかなりいる。その中でも最も親しいのは、ロンドンでの学生時代に知り合ったサルバトーレである。僕よりも4歳年上のサルバトーレは、当時はまだパレルモ大学の学生で、一年間の予定でロンドンに語学留学をしていた。イタリアでは30歳近くになっても大学に籍を置いて勉強をつづけている学生が多い。サルバトーレもその頃はすでに28歳になっていた。


サルバトーレは、ロンドンからシチリアに戻った翌年に大学の哲学科を卒業して弁護士のシルビアと結婚した。二人には現在3人の子供がいる。ロンドン時代は「ラテン・ラバー」ともてはやされたサルバトーレも、今は巨大な太鼓腹を抱えるただの田舎のオヤジになって、会うたびに僕を喜ばせてくれる。ロンドン時代、彼のモテモテぶりに少なからず嫉妬心を抱きつづけていた僕は、最早すっかりオヤジ振りが板についた同士とは云え、下腹の有様だけを見れば、今はこっちの方がよっぽど「ラテン・ラバー」だと優越感にひたるのである。



秘密というのではないが、僕は彼と知り合って20年程が経った頃、サルバトーレの口から意外なことを聞かされた。彼の祖父はれっきとしたマフィアの構成員で、組織内の抗争に巻き込まれて射殺されていたのである。祖父はあの悪名高いコルレオーネ村に近い山間部のマフィアファミリーのボスだった。彼はマフィアがまがりなりにも「名誉ある男たち」としての自恃(じじ)を持っていた頃の最後の世代に当たり、主として麻薬密売を一手に握って台頭してきた、若い世代の構成員とぶつかって殺害されたのである。



映画「ゴッドファーザー」の中にマーロン・ブランド扮するドン・コルレオーネとその周辺の対立が描かれているが、あれとそっくり同じ状況がシチリアのマフィアの間で実際に起こっていたのである。サルバトーレの祖父はシチリアの小さな村でドン・コルレオーネに酷似した立場にあった男。これはマフィア関連の文献にも記載されている実話である。



サルバトーレは僕がマフィアに関心を持っていて、シチリア島に行く度に少しづつ情報を集めていることを知っていた。同時に彼は、僕がシチリア島や島の住民を何かにつけてすぐにマフィアと結びつけて否定する人間ではないことも知っていた。だからこそ僕らは長い間友人でありつづけられたのであり、彼はその頃になって祖父の話を持ち出したのだろうと思う。



言葉を変えれば、サルバトーレがマフィアのボスの一人だった祖父の話をしても良いと思うところまで僕を信用するのに、20年の歳月が必要だったとも考えられる。もっともサルバトーレの祖父のことは、僕が無知だっただけで、知る人ぞ知る史実なので秘密でもなんでもなかったのだが、僕は知り合って20年も経った後に、彼自身の口から直接その話が出たことにある種の感慨を覚えたのである。



しかしながらサルバトーレも又シチリア島の人間である。マフィアについては余り立ち入ったことは話したがらない。それは同じシチリア人である彼の妻のシルビアにも言える。ただ僕らは次のような会話をすることはある。



僕「マフィアの構成員って見ていてすぐに分かるの?」

シ「分かるわよ。それは」

僕「サルバトーレ、君も?」

サ「うん。分かる」

僕「君ら二人が分かるということ? それともシチリアの人は皆んな分かるということ?」

サ「分かるさ。誰も何も言わないだけだ」

僕「ふーん。日本のヤクザみたいなものなのかな」



サルバトーレもシルビアもヤクザのことは知っている。僕がマフィアにからませて時々話題にすることもあるが、それでなくてもYAKUZAというのは国際的な言語になっていて、インテリの部類に入るイタリア人はけっこう知っていることが多い。



シ「ヤクザはいかにもヤクザって格好をしているの?」

僕「少し前まではね。今だにそういうのもいるけど、ふつうのビジネスマンみたいになって分からなくなったのも多い」

サ「それでも分かる訳か」

僕「何となく。何かあるとすぐ分かる」

シ「マフィアは何もなくても分かるわね」

僕「服装とかそういうの?」

サ「そうじゃなくて、雰囲気。動き方とか目の表情だとか、握手の仕方、抱擁の仕方・・・いろいろな要素がある」



シチリア人の誰もがマフィアの構成員を即座に見抜く、というのは少し大げさなような気もするが、僕はサルバトーレとシルビアに関しては彼らの話を信用する。サルバトーレは祖父の関係で少しはマフィア内部のことに詳しいはずだし、シルビアは弁護士としての立場上、同じようにマフィアに関してはたくさんの情報を持っているはずである。



マフィアを相手にする司法関係者は、シルビアのようなシチリア人でなければ意味がない、と良く言われる。それはマフィアの精神構造とシチリアの人々のそれが同一の土壌にあって、よそ者には決して踏みこむことができないということである。



たとえば1992年にマフィアに殺害されたジョバンニ・ファルコーネ判事は、シチリア人であったためにマフィアをとことん追い詰めてイタリアの英雄になった。彼はサルバトーレが話したような、マフィアの構成員に独特の動作や目の表情や言葉遣い等に精通していた。同時に彼らを尋問するに当たっては、どういう話し方をしてどういう態度で臨めば彼らに屈辱感を与えず、しかも判事自らの権威を保つことができるかを知悉(ちしつ)していたという。マフィアは屈辱を最も恐れ、権威には従順なところがある。ただし権威とは、彼らが彼らだけの基準で認めた権威である。普通の人が権威と認めるものでも、マフィアはその気になれば何のためらいもなく否定し破壊する。



要するにファルコーネ判事は、シチリア人同志でなければ通じ合わないものを最大限に活かして、仕事をしたのである。そのおかげで彼は、口を割らせるのが難しいマフィアの男たちを次々に落として、組織を追いつめていった。そしてまさにその力量が災いして、彼は高速道路を走行中にマフィアが道路に仕掛けた爆弾によって車ごと吹き飛ばされた。マフィアは時速140キロメートル以上のスピードで走っている判事の車を、遠隔操作の爆破装置で正確に破壊したのである。その2ヶ月後には、彼と二人三脚でマフィアを追いつづけていた、同じシチリア島出身のパオロ・ボルセリーノ判事も殺害される。



シチリア出身のマフィア専門の法曹は、ファルコーネ判事の前にももちろんいた。しかしそのほとんどが目立った成果を挙げられずにいた。それどころかマフィアとの癒着を疑われて世論の批判を浴びる有様だった。シチリア出身の法曹は、同じシチリアの犯罪組織であるマフィアを良く知っている分、マフィアの男たちに取り込まれやすい危険がいつもつきまとっている。ジョバンニ・ファルコーネ判事と相棒のパオロ・ボルセリーノ判事は、誰もが認める勇気と行動力を持って真っ向からマフィアに立ち向かって行った、シチリアの司法史上ほとんど初めての、と言っても良い現地出身の裁判官だったのである。



“マフィアと闘う者はたくさんいる。しかし彼らは実は何もしていない。その証拠に彼らはまだ生きている”とシチリアの人々は良く口にする。マフィアに真剣に立ち向かえば消される、というやり切れない現実を言い当てた格言である。その格言通り二人の判事はこの世から消えた。



実際にシチリア島に足を運び、人々に出会い、資料を集めたりしながら、僕はとりとめもなくマフィアについて考えを巡らせつづけている。いつかはそれをテーマにきちんとした作品を作ってみたいからである。


僕はイタリアの友人や知人に良くそのことを話す。すると誰もが決まって「やめた方がいい。命にかかわるぞ」と真剣な顔で僕に忠告する。僕は命知らずの勇敢な男ではないから、そのたびに少なからずビビってしまう。同時に彼らのリアクションは「マフィアの亡霊」に脅えているだけなのではないか、とも思う。



そうやって不安と疑問と恐怖の間をオロオロと行き来しながらも、僕は一つだけ「大丈夫、危険なことはない」と自分にいいきかせることのできる物を持っている。



それはシチリア島の僕の親友、サルバトーレの存在である。サルバトーレは、僕がマフィアを題材にした作品を制作できないかと模索し続けていることを、誰よりも良く知っている。しかし、彼は一言も危ないとか、やめておけ、といった忠告をしたことがない。むしろ、僕の意図するところには賛成である。弁護士で奥さんのシルビアもそうだ。



マフィアを知悉している二人は、僕が知らず知らずのうちに危険な道に踏みこんだ場合、すぐに警告をしてくれるであろう・・・・・と、僕はひそかに確信しているのである。



とは言うものの、最近の僕は、マフィアを直接に取り上げる映像ドキュメンタリーの意義については、かなり大きな疑問を抱いている。多くのテレビ番組や映画や活字媒体が取り上げ続けてきたテーマに、果たして自分なりの視点や思いや発見を付け加えることができるのか。またマフィアの本質になんらかの形で僅かなりとも迫ることができるのか。そうした重大な疑問に僕は何一つ答えを見つけ出せずにいる。



結局、マフィアをテーマに新しく映像作品を作るなら、ドキュメンタリーではなくフィクションの形でのそれしかないのではないか、と僕は感じ始めている。それは映像ドキュメンタリー監督、あるいはドキュメンタリー作家を自負している自分としては、屈辱であり敗北宣言にも等しい感慨だ。が、ことマフィアに関する限り、僕は茫漠とした広がりを見せる情報と見聞と現実の前に、今のところはなす術もなく立ち尽くしている、という風なのである。
 

イタリアより

 投稿者:松川  投稿日:2018年 1月18日(木)21時31分4秒
返信・引用
  いつも宮里君だけが投稿しているので、イタリア在住の仲宗根雅則君の承諾を得、彼のブログを転載したいと思います。まずは、イタリアと言えば「ゴッドファーザー」でお馴染みのマフィアをテーマにしたブログです。

シチリア島は紀元前のギリシャ植民地時代に始まり、外からの大いなる力によって支配され続けた。
国(島)を乗っ取られて迫害を受けたと感じた人々は、列強支配への反発から島民同士で結束し、かたくなになり、時間経過と共にさらに団結を強化して行った。
その団結の要としてマフィアという秘密結社が形成されて、人々を保護したという説がある。その主張には一面の真実がある。マフィアは当初から犯罪組織として存在したのではないのだ。

しかしマフィアは支配者への抵抗組織という顔を持つと同時に、時間の経過と共にシチリアの中で支配者とは関係なく存在してきた、シチリア社会だけの必要悪でもあったと考えられる。
マフィアは麻薬密売や恐喝や賭博などの犯罪に手を染める一方で、土建業に始まるシチリア島の多くの産業に入り込み、雇用を通して人々を支配し、彼らの票を一手に握って政治家をも支配する。
それはたとえば日本の片田舎で、発展する都会の富に全く浴さないと感じた人々が、土地の山を切り開いたり、施設や道路を作ったりする土建業者にぴたりと寄り添う心理と極めて似通っている。
マフィアは殺人や麻薬密売やテロに手を染める犯罪シンジケートである前に、土地開発にまつわるあらゆる利権を握っているシチリアの有力者、あるいは権力者とも呼べる存在なのである。

「政治は生活なり」という感覚は都会人には良く分からない。しかし東北や山陰等々の片田舎や奄美・沖縄等の離島に行けば、町長選挙や村長選挙が直接に生活に結びついている構図が日本にもいくらもある。
就職先のない貧しい田舎の人々にとっては、A候補を支持し、A候補が当選することは死活問題である。なぜならばA候補が当選したあかつきには、村役場や施設 で息子や娘が仕事を得るからである。
あるいはA候補を通して公共事業が導入されて、仕事が生まれるからである。そしてその場合には、A候補を支持した者により多くの仕事 が行くのは、火を見るよりも明らかである。
それと同じようにマフィアは建設会社を経営し、建設会社を通して村人を支配し、村人の票を一手 に握って政治家を支配し、その単純な構図をさらに拡大してイタリアの国政にまで入り込んでいる。

そこまでは日本の土建業者や米農家を一手にまとめる村会議 員と何ら変わるところはない。シチリア島は、基本的に土建業者であるマフィアに生活の糧を握られている、巨大なムラ社会なのである。
土建業者であるマフィアは、そこで儲けた金を元手にあらゆる事業に進出して、ますます強くなった。強くなるためには殺人を犯し恐喝をし無差別殺戮の爆弾テロにまで手を染める。
事業は麻薬密売、売春、密貿易とどんどんエスカレートして、巨大犯罪組織としての側面がふくらんでいくが、貧しい村や町の人々の生活に密接 に関わっている土地の土建業者あるいはこわ持ての有力者、という基本的な立場は少しも変わることなく保ちつづけている。
もっと言えば、シ チリアの人々の生活を助けてくれるのは、ローマの政治家に代表される大陸(シチリア人はイタリア本土を良くそういう風に呼ぶ)の力ではなく、その土地土地 のマフィアの男たちなのだ、と人々に思いこませるだけの力を保持している。
そこがシチリアにおけるマフィアの強さであり、マフィアとはシチリア島そのものだと僕が感じるゆえんである。

シチリアのマフィアはシチリアの人々のメンタリティーが変わらない限り根絶することはできない。同時にマフィアが征服されない限りシチリアの人々のメンタリティーは変わらない。マフィアはそれほど深く広くシチリア社会の中に根を張っている。
マフィアの起源についてはいろいろな説があるが、元々はシチリア島西部に起こった、支配者フランスへの抵抗組織だという説が有力である。というよりも、シチリアの多くの人々がそう信じたがっているようである。

その説に従えば、MAFIAという名も「Morte Alla Francese Insurrezione Armata」(武器を持って立ち上がれ。フランス人に死を!)」の頭文字を取ったものだということになる。意味は通じるのである。
また同じような解釈で「Morte Alla Francese Indipendenza Autonomia」(フランス人に死を! そして独立と自治を)、あるいは 「Morte Alla Francia Italia Anela(フランスに死を、これはイタリアの叫びだ)」の略語という説もある。
そうした解釈は、マフィアに少なからぬ連帯感を持っている人々のこじつけのような気が僕はする。第二次大戦時のナチスに対するフランスやイタリアのレジスタンス運動に似せて、マフィアをシチリアの民衆の味方として位置づけようとする作意が感じられるのである。

マフィアの持つおどろおどろしいイメージや実態には、むしろ次の二つの説のほうが良く似合う。一つは大昔シチリア島のパレルモ地方を支配していたアラブの種族「 Ma Afir(マ・アフィル)」から来ているという説。 またもう一つは、フランス兵に娘を殺された母親がシチリア方言で「Ma Figlia! Ma Figlia ! 」(娘よ、娘よ)と泣き叫びつづけたことから来るという説である。 Ma Figliaはシチリア訛りの発音では「マフィア」とほとんど区別がつかない。
西洋人がアラブ人に抱く不気味なイメージ、そして哀れなシチリアの農婦が娘の亡骸を掻き抱いて号泣する図。そうした不可解な感じ、土着的なもの、悲哀、古代の粘着感・・・のようなものがマフィアの本質であって、決してレジスタンス運動のような英雄的な、しかもある意味で近代的な思想や歴史を持つ男たちの集合体ではなかった、と僕は思う。

いずれにしても、それらの説には一つだけ重大な共通点がある。つまりどの説も支配され、蹂躙されつづけたシチリアの人々の悲劇や怨念や復讐心や詠嘆を背景にしてマフィアが生まれた、と主張している点である。
それは前述したように恐らく正しい。前近代的な様相を持つシチリア社会は、以後少しづつ変化をしながらも基本的には巨大なムラ社会であり続けている。
その最も象徴的な事例が、選挙でマフィアに支配されていても疑問を感じない、あるいは疑問を感じていない振りをする、旧態依然とした人々の行動心理であり島社会の在り方なのである。
 

気張れ全国の受験生、ちばりよー女子駅伝沖縄代表・・・徒然なるままに

 投稿者:宮里賢  投稿日:2018年 1月14日(日)13時10分14秒
返信・引用
   昨13日、本14日はセンター試験。
皆さんの中にも、お子さんやご親戚が受験されている方もいらっしゃるでしょう。
北陸等雪国では、雪にも悩まされていますね。
全国の受験生は、雪や寒さに負けず、気張って、試験に取り組んでもらいたいものです。

 京都では、12時30分より全国女子駅伝が行われています。
 下記、「ちばりよー、北山高校」に記載した店の東側ガラス窓に「ちばりよー、女子駅伝」南側ガラス窓に「ちばりよー沖縄代表」とありました。
 1時5分現在、第三走者が走っています。第四走者の百万遍交差点をカーブした直後にテレビで観ることができるかも知れません(もっとも、これを見られている方の大部分にとっては、既に終了しているでしょうが)。
 沖縄代表。寒さに負けず、気張って、30位台で走ってもらいたいものです。

宮里 賢
 

謹賀新年・・・徒然なるままに 

 投稿者:宮里賢  投稿日:2018年 1月 3日(水)19時58分14秒
返信・引用
   謹賀新年。
 26期同期の皆さん。お元気でしょうか。
 仕事、ご自身やご家族の健康、人間関係が順調だった方。今年も更によい年にしましょう。
しかし、人生、思うようにいかず、ご不幸に遭われていられる方も少なくないと思います。
そのような方を含め、同期の皆さん全員が、昨年に比してより良き年となられるよう祈っていま す。

 さて、徒然なるままに、私の三が日を記します。
 元旦。東山からの初日の出は拝めませんでした。午後は晴れ間も広がり、神社巡り。
 まず、近所の吉田神社。徒然草の吉田兼好ゆかりの神社です。
 続いて平安神宮。京都御所を模した神社です。全体の構造は首里城と少し似ています。京都御所は唐の、首里城は明の宮城を模しているので当然ですが。
 その後、北野天満宮。菅原道真が大宰権帥に左遷された時、この地にあった道真邸の梅が主人を慕って大宰府まで飛んで行ったということで、全国の天満宮境内には梅の木があります。

 2日。比叡山延暦寺へ。銀閣寺近くの銀閣寺道より修学院離宮近くの修学院道まで市バス、修学院より比叡山の麓八瀬まで叡山電車。八瀬から、冬季は三が日のみ特別運行しているケーブルカーとロープウエイで比叡山頂上へ。日陰には凍結した雪。
 延暦寺は最澄が開き、法然、親鸞、日蓮、栄西、道元が学び修行した場所。今に続く鎌倉仏教の開祖たちも、この地で、思い悩みつつ自らの進むべき道を模索していたのでしょう。
 夕方、ケーブルカーで、滋賀県大津市坂本側に下山。京阪電車石山坂本線、同京津線、京都市バスを乗り継ぎ、清水道へ。産寧坂、高台寺道の歴史的町並みを散策しながら、八坂神社(祇園社)へ。八坂神社から祇園を散策しながら、四条通り界隈を西へ。鴨川を渡り、河原町通りの四条と三条の中間、坂本竜馬と中岡慎太郎が襲撃された近江屋跡で食事。隣の隣の席は外国人のカップル。ここ3、4年、本当に増えました。

 今日3日は資料や書類の整理で部屋にいました。天気が目まぐるしく変化し、日が差しているかと思うと、雪が舞ったりして、1キロ程しか離れていない真東の大文字山も見えない時もありました。東北にある比叡山を眺めると山頂部分が白くなっていました。

 皆さんの三が日の様子も知りたいものです。
 皆さん。せっかく、この掲示板があるのです。投稿しましょうね。

 宮里 賢
 

3年8組 臨時クラス会

 投稿者:3年8組  投稿日:2017年12月28日(木)14時44分41秒
返信・引用 編集済
  日高がやって来ます!!

那覇高校26期3年8組 臨時クラス会
30日18:00~20:00
ロッテリア 那覇安岡店
那覇市銘苅227

連絡できる人にお願いします。


 

「ちばりよー 北山高校」・・・

 投稿者:宮里賢  投稿日:2017年12月24日(日)02時22分34秒
返信・引用
   天皇誕生日の昨23日。知恩寺(別称が百万遍)という寺の門前で、「ちばりよー北山高校」という文字が目に入りました。門の脇にある建物2階東側の開放的なガラス窓に貼られていました。

 知恩寺の門は、大学院時代、朝8時過ぎから夜12時前まで籠っていた部屋から100メートル弱しか離れていません。その頃、街路樹の隙間から見えたその建物には小さな出版社が入っていました。

 確認すると、今、2階は「いちゃりば」という飲食店になっていました。ちゃんぷるー、泡盛、オリオンビール等の定番だけでなく、南大東産のサトウキビから作った「ココル」というラム酒も飲めるようでした。

 さて、「ちばりよー 北山高校」。今日24日は、高校駅伝。沖縄代表は、男子北山高校、女子名護高校のようですね。
 距離の短い女子は京都御所の西北で折り返し。それに対し男子は、御所の西(烏丸通)、南(丸太町通)を走り、鴨川を渡った後、左京区内を走り抜け、洛北岩倉の京都国際会議場近くの折返し地点を目指します。


 御所の南でバトンを受継ぎ、平安神宮近くから東大路通りを北上してきた第2走者は、百万遍交差点(東大路今出川交差点)で右折し、今出川通りを東に向けて走り抜けます。その百万遍交差点の100メートル程東に知恩寺の門があります。NHKの中継では、百万遍交差点をカーブしてすぐの画面右側、知恩寺の門の左側に一瞬、「ちばりよー 北山高校」が見えるかもしれません。

 過去には第2走者の頭が白くなる程の雪が降ったこともあったのですが、今日24日は暖かく、レース中は雨の心配も無いようです。北山高校、そして、女子の名護高校の選手には気張ってもらって、是非、両校とも30番台に入ってもらいたいものです。
 両校とも30番台に入ったときは、「いちゃりば」にて、オリオンビールと「ココル」で祝杯を挙げます。

 ちばりよー 北山高校。ちばりよー名護高校。

 宮里 賢
 

お久しぶりです。

 投稿者:g・k  投稿日:2017年11月28日(火)02時03分10秒
返信・引用
   気付けば、なんと約1年も投稿していませんでした。皆さんお元気でお過ごしでしょうか?
ご無沙汰しております。退職して早2年8ヶ月となりました。今年は、与那国、宮古島、利尻島、礼文島、新潟県、神奈川県、大阪府、はたまた、念願のカナダ旅行に行ってきました。

 春に、桜見物、夏に海を満喫、秋に稲刈り、初冬にナイアガラの滝堪能・・・・と、仕事をしている時には、いけなかった場所に行って帰ってきました。

旅行につきものは体力ですね。(笑)飛行機内滞在の長かったこと、バスへの素早い乗り降り、ひたすら徒歩よる観光には脚力がないとついていけません。

 {もっと若いうちに旅行をしておけばよかった}と、つくづく思った次第です。(苦笑)

と言うことは、{80歳になったとき、あの時行っておけばよかった}と後悔するとしたら、{今でしょう}と考え、友人知人に誘われたらオッケイとばかりにッァ-に参加した次第です。

 どこへ行っても素晴らしい景色で、行ってよかったと思いました。どの地を訪れてもその土地独特の良さがありました。行くことで、振り返って我が沖縄県の素晴らしさにも気付かされます。(旅行は、私だけの参加で、主人と感動を共有していないのは残念ですが)

 今年も残り少なくなりましたが、同期生の皆様はどのように過ごされたのでしょうか?

来年、同期生会があったらいいなあと思っています。今、動けるとき、元気なときに親交を温めておきたいと考えます。4年ごとでは遅いです。皆さんに会いたいのです。来年の同期生会の開催を希望する者の一人です。久しぶりに深夜2時まで起きて投稿している私です。

 皆さん、暑くなったり寒くなったりで、体調管理がむづかしいこの頃ですが、風邪をひかないようお互いに気をつけたいですね。  おやすみなさい。            久しぶりに投稿しました。
 

投稿しましょうね。 身近な沖縄・・・徒然なるままに 

 投稿者:宮里賢  投稿日:2017年11月 4日(土)20時15分45秒
返信・引用
  皆さん、お元気ですか。
最近、というよりここ半年、投稿が少ないですね。
せっかくこの掲示板があるのです。健康その他に関する質問や不安なこと。
ご自分や周囲の近況。那覇高時代など昔の思い出。会員の近況の問い合わせ等々。
どんどん、投稿しましょうよ。

ということで、私の身近な沖縄について、徒然なるままに記します。
ここ4、5日、秋めいた日が続き、木々の紅葉も始まりました。

私の右隣の嘱託同僚は、この連休、山小屋に一泊しつつ、奈良・大台ケ原の紅葉を満喫するとのことでした。団塊世代のその人は、壮年期、府庁労働組合の書記長を務め、沖縄に関心が強く、何度も訪沖しています。そして、その人の嘱託としての仕事は旧軍人・同遺族の援護関係です。主たる仕事は、市町村からの質問に対する回答ですが、たまには遺族からの質問への回答もあります。
実は沖縄戦で、首里・那覇より北側に布陣していた師団は、京都・滋賀・福井出身者で編成されていたので、京都府は沖縄戦での戦死者が多いのです。その関係で、電話での会話でも沖縄の地名が時々聞こえます。宜野湾・浦添・西原等の集落や那覇・首里の町名等。
また、今年の異動まで、その人と同じく援護の仕事をしていた若い女性職員が一月ほど前に「今度の休みに沖縄に行くんです。」とうれしそうに話していました。

また、一人おいて左隣の嘱託。元検察事務官で、私と同じく、行政不服審査を担当しています。次女が琉球大学の医学部を出て、今年の3月まで沖縄の病院に勤務していました。昨年の同期会の二次会で国吉幸男君に聴いても記憶していませんでした。助教授時代からだと教え子は千人を超えるでしょうから当然でしょうが。

その今年の3月。昔の受験仲間から電話がありました。次男が琉球大学の医学部に入学することになったので沖縄に行ったとのこと。かなり、口の悪い男ですが、「沖縄は良い所だね」とのことでした。

やや、唐突ですが、一月余り前。朝日新聞の文化欄で琉歌が紹介されていました。その中に私達の同期生と同姓・同名・同字の女性の歌がありました。勘違いかもしれませんが、3年10組に在籍していた同期生かなと思いました。いつもにこにこしていた彼女の顔、続いて、何人かの顔が浮かび何となくほっこりしました。

この掲示板をご覧になっている皆さん。せっかくの掲示板です。
例えば、下記で、山里会長が求めている「次期同期会開催について」等。
気楽に投稿しましょうね。

宮里 賢




 

ご報告

 投稿者:山里 清  投稿日:2017年 8月28日(月)11時31分27秒
返信・引用
  同期会会長の山里です。

 次期会長、次期開催年について、この掲示板や同級生の集まりなどで問い合わせ等がありますのでご報告します。

 平成26年開催の還暦同期会は、還暦という節目を同期生みんなで祝いたいということで、前開催年から2年目でしたが、藤田君が会長となり特別に開催されました。

 昨年は、定例(4年ごとに開催)の開催年でしたので、還暦同期会からまだ2年ではありましたが、オリンピックイヤーに開催するというローテーションを守り、今後とも同期会を継続していこうということで開催いたしました。

 還暦同期会も昨年の定例同期会も皆さんの積極的なご協力で大きく盛り上がり、成功裏に終えることができました。ありがとうございました。

 次期開催年は、これまで通りでいくと平成32年(2020年)になります。
昨年の同期会の後、次期会長になっていただく方を当たった結果、引き受けてもいいと言っていただいている方がいらっしゃいます。

 しかしながら、2年(直近だと来年開催)ごとに開催してほしいという声もあります。
 開催年(2年ごとまたは4年ごと)についての皆さまのご意見をお聞きしたいと思っていますの、この掲示板に投稿していただくか私あてにご意見をお寄せください。

 ただし、2年後(来年)の開催については、会長を引き受けてくださる方が現在のところいらっしゃいません。2年ごとを希望する方は、合わせて次期会長候補者も推薦いただければ幸いです。

 皆さんから寄せられたご意見をもとに、改めて、次期開催年と次期会長をご報告したいと思いますので、よろしくお願いいたします。

同期会会長 山里 清
k-yama@nirai.ne.jp
090-9785-9781


 

(無題)

 投稿者:K  投稿日:2017年 7月 5日(水)14時50分47秒
返信・引用
  管理者さんありがとう。おかげで、虫メガネを使わずに1人1人の顔を確認することが出来ました。
ところで、次期会長や次回開催年がいつだったか覚えていません。どなたか知ってる方教えてください。
 

2016年同期会集合写真

 投稿者:管理者  投稿日:2017年 6月11日(日)14時41分33秒
返信・引用 編集済
  2016年同期会の集合写真を追加掲載しました。
顔の確認ができるように、大きめの写真データで掲載しましたので、非力のパソコン、スマホなどでは、
写真画像が出てくるまで時間がかかるかもしれませんが、ご了解ください。

掲載ページは、下記のアドレスとなります。

http://www43.tok2.com/home/otake/naha26/info/20161112_1.html



 

嘉手納の空・・・徒然なるままに

 投稿者:宮里賢  投稿日:2017年 2月27日(月)02時31分37秒
返信・引用
   2月24日(金)。京都府、大阪府、兵庫県等、近畿地方の行政不服審査担当者に対する、総務省行政管理局官僚による研修が大阪城の近くであり、出席しました。
 研修終了後、大阪城を散策していると、東側上空に飛行機が見えました。大阪(伊丹)空港への着陸態勢に入った飛行機です。大阪城の辺りでは騒音を感じないもの、伊丹市、豊中市辺りの騒音はそれなりのもの。
 そこで、大阪空港周辺の住民らが、損害賠償と共に夜間・早朝の飛行差止めを求める民事訴訟を提起しました。空港騒音訴訟で最も有名な大阪空港騒音訴訟です。残念ながら最高裁では認められませんでしたが、大阪高裁は、夜間・早朝の飛行差し止めも認めました。
 そして、この訴訟を中心とする運動の高まりにより、大阪空港の夜間早朝の離着陸はなくなり、代わりに24時間運航可能な関西空港の建設・運用となったのです。余談ですが、騒音対策の一環として国が保有していた土地を異常な安価で曰くつきの学園に売却したのが豊中の事件です。

 米軍嘉手納基地の騒音訴訟に関する23日の那覇地裁沖縄支部の判決でも、過去の損害に対する賠償は認めたものの夜間・早朝の飛行差止めは認めませんでしたね。
 民間空港については、最高裁も、運輸大臣(現国土交通大臣)の航空行政権行使に対する取消・変更を求める行政訴訟による飛行差止めの可能性を認めています。ただ、嘉手納基地のような米軍基地における飛行差止めは、(今回の判決で示したように)日本政府には米軍の行動を差止める権限はないとして、現時点では、控訴、上告しても認められないと考えられます。
 しかし、大阪(伊丹)空港の例でわかるように、声を上げ続けることが重要です。

 一昨年の8月にも記しましたが、10年余り前のウークイの日の夕方、当時、県の基地対策課長を務めていた平宗秀君と会食していると、翌早朝(つまり、ウークイ明けの早朝)に、嘉手納基地で早朝離着陸が実施されるとの連絡が入りました。
 私は、深夜、早朝のスクランブル発進を全面的に否定するものではありません。しかし、そのウークイ翌朝の早朝離着陸が必要不可欠だったとは思えません。

 普天間基地の辺野古への移設を容認するか否かについては、見解が分かれると思います。しかし、嘉手納基地の夜間・早朝の飛行原則差止めについては大部分の人が賛同・支持できるのではないでしょうか。
 基地対策課長を務めた平良君、基地問題に造詣が深い我部政明君を始めとした御同輩の皆さん、如何お考えですか。 
 

ホームページありがとうございます

 投稿者:3年7組YN  投稿日:2017年 2月 7日(火)21時02分58秒
返信・引用
  臨時のホームページということですが、再開すっごくうれしい。2016年同期会の写真も見ることが出来て幸せです。ありがとうございます。女性陣皆さんきれい!。拍手。男性陣は歳月を感じさせ貫禄があって立派ですよ。拍手。会いたいなあ。  

Re: 世界のウチナワンチュ大会、私たちの26期同期会・・・徒然なるままに

 投稿者:那覇高校26  投稿日:2017年 1月31日(火)17時54分15秒
返信・引用
  お元気ですか?
写真見る限り結構まだ若いですね。
頑張っているようでなによりです。
トランプ当選、そしてその後。
君のいう通りじゃないか。
それとも俺が無知なのか?
いやいや俺の回りでは、俺が政治、経済では教えている方です。
やっばりリーダーは頭のいい方に任すに限る。
高校一年の時担任がクラスの委員長、副委員長を成績トップから選んだのがよくわかる気がする。
勿論心もよくなくてはいけないけど、
頭のいい人には決定に納得いかなくても従うこと出来るからね。あくまで自分はだけど。
健闘をお祈りします。
失礼しました。


 

NOAH COIN

 投稿者:崎原 範夫  投稿日:2017年 1月26日(木)19時36分12秒
返信・引用
  1/13に投降したアドレスが開かなかった思います。
失礼しました。
此方の紹介HRLから 気になる方はごらんください。

https://noahcoin.co/lp?parameter=3de86a7b02e9db9261b6139345e00d8a

 労働者として生きてきた我々が、資産家的ものの見方はむつかしく、
さらに法定通貨 円やドル で生きてきた62年間をすぐに変えられない
事はわかります。

 コンピュウターが計算処理、事務処理を変えてきました。スマフォがコミュニケーション
を変えてきました。SNS(ブログ、フェイスブック、ライン、インスタグラム)が
個人でお金をネットで稼ぐという、職業の形態を変えつつあります。

 これからは、暗号通貨というインターネットお金が 世界の経済を変えていきます。

暗号通貨第一人者の泉忠司は、暗号通貨の基軸通貨のビットコインが7,8年で100万倍に
なった。イーサリアムやほかのまともな暗号通貨も20倍から600倍になった。(その他数百
の暗号通貨は詐欺まがい)。
 経済成長率NO1クラスのフィリピン(現在銀行の金利 年8~14%)が国を挙げて進める
暗号通貨NOAH COIN
はフィリピンだけの送金するお金の規模で年間3兆円(ビットコイン現在 1~2兆円)銀行
関連の運用から、都市開発の広がりを考えても6000千兆円規模と言われているそうである。

 その暗号通貨の立ち上げを、日本のお金に求めてきています。このような考えられない倍率で膨らむと予想される投資のタイミングは、歴史上なかったし、これからもないと断言しています。

投資というより、両替ですね。1口1000ドル(11~12万)で10万NOAHに両替して、2,3年忘れていて気が付けば もし1NOHAが千円になっていたら。
 あくまで相場ですから、両替する人がいなければ、変わらないですが、上の説明からもお分かりのように送金手数料ただの暗号通貨、フィリピンの人が使わないわけはないし、NOAH CITYの都市開発にNOAH COINしか使えないので両替する規模は爆発的に増えるでしょう。

 そのNOAH CITYではすべてのお店でNOAH COINが使われ、超有名なアミューズメント施設も併設されるようです。

 そして初年度20%金利が付き、その後40年間複利で金利が付きます。(金利は指数関数的に減らして)その金利は365等分して毎日振り込まれるそうです。こんな設定今まで聞いたことないですね。

 現在1期のプレセールが始まっています。来年の6月まで4期に分けて発売され、4期目は1NOAH 1.22円になります。プレセールで2倍以上設定するのは、詐欺の確信犯と言われています。

 56冊の本を出しているミリオネア作家の泉忠司。セミナー売り上げのギネス記録(これから申請)を持つ彼が、いま猛ダッシュで売り込んでいます。プレセールで400億強。1期2期で売りさばく勢いです。


 あなたの資産を増やしてみては試してみてはいかがでしょう。


 
 

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