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三条木屋町界隈2・・・徒然なるままに。

 投稿者:宮里賢  投稿日:2018年 9月10日(月)00時47分12秒
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   先週、近畿地方は暴風雨、北海道は地震で大変でした。皆さんはお元気でしょうか。
 さて、今日9日の大河ドラマ「西郷どん」では、第二次長州征伐から大政奉還までが描かれました。そこで、幕末・維新期に尊王攘夷論者から開国近代国家建設論者まで、多くの志ある人々の足跡が集中している三条木屋町界隈について記します。
 私が週に2回程夕食をとる店から東に15メートル程歩くと高瀬川にかかった三条小橋があります。その小橋の傍には、佐久間象山と大村益次郎の遭難の碑があります。共に洋学、特に兵学に造詣が深く、象山は過激な尊王攘夷論者によって殺害され、明治維新後の近代陸軍創設の中心人物だった大村は不平士族に襲われ大阪移送後に死亡。
 店から逆に3軒西の建物が「池田屋」という居酒屋です。池田屋騒動の跡地です。御存知のように、ここでは、長州系の尊王攘夷論者が新選組に襲撃されました。運よく襲撃から逃れた桂小五郎は、高杉晋作と共に単純な尊王攘夷論から脱却し、明治維新において大久保利通、岩倉具視と共に欧米流の近代国家建設の中心人物となりました。
 その池田屋からわずか50メートル程南が「酢屋」。坂本龍馬の寓居であり、海援隊の本拠とした店。現在もその趣を残している。 単純な尊王攘夷論者だった龍馬は、象山の弟子だった勝海舟に目を開かされ、開国近代国家建設論者へと脱却。
 その酢屋からわずか100メートル余南西に離れた河原町通り沿いのホテルの入口傍には、「後藤象二郎の寓居、壺屋跡」の碑がある。土佐藩の実力者である後藤は、龍馬から近代国家政治体制の献策を受け、山内容堂の下、幕府に働き掛け、徳川慶喜による大政奉還へと結実する。
 その壺屋跡のホテルから河原町通りを400メートル程南の抹茶カフェの店。店の外の歩道に20人程入店待ちの列があることも多い。龍馬と共に薩長同盟の仲介をした陸援隊の中岡慎太郎の寓居跡とのこと。
 河原町通りを北に戻り、後藤の壺屋跡と中岡の寓居跡との中間程の回転寿司屋の入口傍の碑。居酒屋「池田屋」前の碑と共に立止まって碑文を読んでいる観光客をよく見かける。龍馬と中岡が暗殺された「近江屋」跡です。
 幕末・維新の志ある人は、政治生命だけでなく文字通りの生命を懸けていたのですよね。頭が下がります。
 
 
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