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三条木屋町界隈2・・・徒然なるままに。

 投稿者:宮里賢  投稿日:2018年 9月10日(月)00時47分12秒
返信・引用
   先週、近畿地方は暴風雨、北海道は地震で大変でした。皆さんはお元気でしょうか。
 さて、今日9日の大河ドラマ「西郷どん」では、第二次長州征伐から大政奉還までが描かれました。そこで、幕末・維新期に尊王攘夷論者から開国近代国家建設論者まで、多くの志ある人々の足跡が集中している三条木屋町界隈について記します。
 私が週に2回程夕食をとる店から東に15メートル程歩くと高瀬川にかかった三条小橋があります。その小橋の傍には、佐久間象山と大村益次郎の遭難の碑があります。共に洋学、特に兵学に造詣が深く、象山は過激な尊王攘夷論者によって殺害され、明治維新後の近代陸軍創設の中心人物だった大村は不平士族に襲われ大阪移送後に死亡。
 店から逆に3軒西の建物が「池田屋」という居酒屋です。池田屋騒動の跡地です。御存知のように、ここでは、長州系の尊王攘夷論者が新選組に襲撃されました。運よく襲撃から逃れた桂小五郎は、高杉晋作と共に単純な尊王攘夷論から脱却し、明治維新において大久保利通、岩倉具視と共に欧米流の近代国家建設の中心人物となりました。
 その池田屋からわずか50メートル程南が「酢屋」。坂本龍馬の寓居であり、海援隊の本拠とした店。現在もその趣を残している。 単純な尊王攘夷論者だった龍馬は、象山の弟子だった勝海舟に目を開かされ、開国近代国家建設論者へと脱却。
 その酢屋からわずか100メートル余南西に離れた河原町通り沿いのホテルの入口傍には、「後藤象二郎の寓居、壺屋跡」の碑がある。土佐藩の実力者である後藤は、龍馬から近代国家政治体制の献策を受け、山内容堂の下、幕府に働き掛け、徳川慶喜による大政奉還へと結実する。
 その壺屋跡のホテルから河原町通りを400メートル程南の抹茶カフェの店。店の外の歩道に20人程入店待ちの列があることも多い。龍馬と共に薩長同盟の仲介をした陸援隊の中岡慎太郎の寓居跡とのこと。
 河原町通りを北に戻り、後藤の壺屋跡と中岡の寓居跡との中間程の回転寿司屋の入口傍の碑。居酒屋「池田屋」前の碑と共に立止まって碑文を読んでいる観光客をよく見かける。龍馬と中岡が暗殺された「近江屋」跡です。
 幕末・維新の志ある人は、政治生命だけでなく文字通りの生命を懸けていたのですよね。頭が下がります。
 
 

次回同期会

 投稿者:新川  投稿日:2018年 8月16日(木)10時29分12秒
返信・引用
  次回那覇高26期同期会の開催について、


【日時】2019年1月26日(土)17:30~20:45 (受付開始:17:00)

【場所】沖縄県市町村自治会館 2F ホール
    住所;那覇市旭町116-37  電話;098-862-8181

【アクセス】施設のホームページを参照ください
    http://okinawa-jichikaikan.com/?page_id=136

【会費】男性4,000円(仮)、女性3,500円(仮) (予定参加人数により変わる可能性があります)

【出欠】クラス毎に、クラス幹事から連絡が行きますので、ご都合をお知らせください。
    ご自分のクラス幹事が不明な場合、翁長までご連絡ください。
    Email:onaga@iiot.or.jp、電話;080-1277-5033
 

イデオロギーよりアイデンティティ3・・・徒然なるままに

 投稿者:宮里賢  投稿日:2018年 8月13日(月)18時07分40秒
返信・引用
  沖縄の米軍基地問題をより良い方向に前進させ、経済社会を含め、沖縄の将来をより良くするためには、県民世論を二分している辺野古移設問題だけに拘るべきではないないでしょう。
辺野古移設問題だけで沖縄県民が分裂して争うことこそ、翁長知事が述べていた、「安倍政権が上から見て笑っている」状態を招くのではないでしょうか。

そこで、皆さん、どうでしょう。
辺野古移設問題は、予定されている県による「辺野古埋立の承認撤回」、それに対する国による提訴による裁判所の判断に委ね、知事選は、沖縄の民意を反映して政府と主体的に渡り合える人物を選ぶ機会とすべきでしょう。

そのために重要なのが、「イデオロギーよりアイデンティティ」です。
主義主張、特に辺野古移設問題での見解が全く同一でなくても、基地問題を始めとしてよりよい沖縄を実現するために、より多くの民意を背景として、安倍政権と主体的に渡り合える人物を知事候補として推し立てるべきです。

例えば、稲嶺恵一元知事のような人物。辺野古移設反対運動に熱心な人の中には拘りがある人もいるかも知れません。しかし、稲嶺恵一元知事は、米国・米軍への抵抗の象徴的存在である瀬長亀次郎さんを公に高く称賛し、父一郎氏と同様に、分け隔てなく様々な人の意見に耳を傾ける人のようです。自民党、公明党の支持者も、佐喜真宜野湾市長より稲嶺恵一元知事に投票する人が多いでしょう。本人は望まないでしょうし、既に80歳を超えています。しかし、年齢は関係ありません。西ドイツの復興・国際復帰を主導したアデナウアーは、我々が生まれた頃、80代で首相を務めていました。

稲嶺恵一元知事以外でも、沖縄を愛するより多くの人々が支持し、安倍政権と主体的に渡り合える人物はいるはずです。

自民党沖縄県連の人々の本意というより、安倍首相・菅官房長官の指示に基づいて、佐喜真宜野湾市長は出馬するでしょう。それに対して、沖縄を愛する人は、佐喜真氏よりは沖縄県知事に相応しい人を推し立てるべきです。そのために重要なことは、自民党支持者、公明党支持者も支持できる人です。4年前の翁長雄志氏のように。

願わくば、そのような人物の擁立の為に、例えば、我部政明君が辺野古移設反対運動の人々・団体を説得し、西銘代議士が佐喜真氏と異なる人物を支持してもらいたいものです。

繰り返します。
「イデオロギーよりアイデンティティ」です。

宮里 賢
 

イデオロギーよりアイデンティティ2・・・なるままに

 投稿者:宮里賢  投稿日:2018年 8月13日(月)16時38分46秒
返信・引用
  4年前の知事選。その言葉に多くの人が共感したからこそ、現職有利の知事選で翁長さんが仲井間知事に10万票もの大差をつけて当選したのでしょう。

ところが、翁長知事の後継知事選の候補として、名が挙がっている主要な人。
沖縄を愛する人の同一性、主体性、大同団結の実現からは、程遠く感じられます。

自民党・公明党が擁立しようとしている佐喜真宜野湾市長は安倍首相・菅官房長官の覚えが良いだけの操り人形となり、沖縄の主体性発揮とは程遠くなるでしょう。自民党支持者、公明党支持者でも、佐喜真市長が沖縄県知事に相応しいと思っている人は少ないのではないでしょうか。

他方、稲嶺前名護市長、糸数参院議員では、辺野古移転反対闘争に熱心な人の支持は得られても、広範な支持は困難でしょう。謝花副知事は、翁長知事を副知事として支えていたというだけ、城間那覇市長は翁長知事の那覇高校の同級生というだけという印象を抱いている人も多いのではないでしょうか(城間君、道子さん、御免!)。

このままでは、公選知事、任命主席、官撰知事を通じてかなり低いレベルの器量の知事か、低い支持しかない知事の誕生となり、沖縄は分裂したまま主体性を発揮できなくなるのではないかと危惧しています。

そのような知事の下、沖縄の将来をよりよくできるのでしょうか。
今、普天間基地の辺野古移設問題で県内世論が二分され、知事選でも最大の焦点とされるでしょう。しかし、辺野古移設問題は沖縄の米軍基地問題の象徴ではあるものの、それだけが基地問題でしょうか。
長期的に見れば将来の嘉手納基地の撤去問題(沖縄戦から100年経過する2045年の状態?)の方が
はるかに重要です。
緊急の問題でも、ヘリ墜落等の米軍事故の時に、大使館敷地や米軍基地でもない純然たる住宅地等でさえ沖縄県警・消防が米軍により排除されるという理不尽さ。米軍人・軍属の犯罪の第一次裁判権や身柄拘束権が基本的に米側に存在するという理不尽さ。
嘉手納基地の将来等は日米安全保障の根幹に関わる問題であり、基地所在自治体と言えども、沖縄県が交渉の当事者となることは現実的ではないでしょう。
しかし、後者のいわゆる地位協定の問題については、日本政府が可及的に、沖縄、神奈川等の基地所在自治体の民意を尊重して、ドイツ、イタリア並みにするよう交渉すべきなのです。
嘉手納基地の将来等の問題についても、日本政府は、現在のように全く情報を提供しないのではなく、かなり限定されるでしょうが、可能な範囲で沖縄等に情報を提供すべきなのです。

したがって、辺野古移設問題だけでない沖縄の米軍基地問題をよりよく前進させるためには、より多くの沖縄県民の支持を受け、沖縄の民意に基づいて主体的に政府と交渉できる知事が必要でしょう。

そのために必要なのが、翁長知事の提唱したキャッチフレーズでしょう。
「イデオロギーよりアイデンティティー」。


 

イデオロギーよりアイデンティティ・・・なるままに

 投稿者:宮里賢  投稿日:2018年 8月13日(月)14時39分6秒
返信・引用
  今日13日。沖縄では、14年前、米軍ヘリが沖縄国際大学に墜落した日。他府県では盆入り、迎え火の日です。
8日に翁長雄志知事が亡くなられましたね。残念です。

私は、翁長知事を全面的に支持しているわけではありません。
特に、「ヤマト」、「ヤマトの人」という物言いについては、真意を理解しているつもりですが、賛同できません。共感を取り付けるべき、ごく普通の多くの他府県の人々をたじろがせ、安倍政権やネット右翼等の思うつぼだと思っています。

しかし、翁長知事の「オール沖縄」、より具体的な「イデオロギーよりアイデンティティー」という言葉に共感しています。
この言葉。私は、
「主義・主張の純粋性を貫いて分裂するのではなく、沖縄の人間、(他府県の人でも)沖縄を愛する人の同一性、主体性を大切にしましょう。」、
「沖縄のことを思う皆さん、沖縄のより良き将来を実現するために、大同団結しましょう。」という呼びかけだと理解しています。

翁長知事が唱えたキャッチフレーズ。翁長知事が亡くなった今こそ大切です。
「イデオロギーよりアイデンティティー」。

 

次回同期会 更新情報(6月4日)

 投稿者:同期会会長  翁長 亨  投稿日:2018年 6月 4日(月)18時50分7秒
返信・引用
  次回那覇高26期同期会の開催について、クラス幹事会での話し合い結果、および会場の
管理事務所との打ち合わせ結果を以下にご連絡します。


【日時】2019年1月26日(土)17:30~20:45 (受付開始:17:00)

【場所】沖縄県市町村自治会館 2F ホール
    住所;那覇市旭町116-37  電話;098-862-8181

【アクセス】施設のホームページを参照ください
    http://okinawa-jichikaikan.com/?page_id=136

【会費】男性4,000円(仮)、女性3,500円(仮) (予定参加人数により変わる可能性があります)

【出欠】クラス毎に、クラス幹事から連絡が行きますので、ご都合をお知らせください。
    ご自分のクラス幹事が不明な場合、翁長までご連絡ください。
    Email:onaga@iiot.or.jp、電話;080-1277-5033

【基本方針】
 ① 低予算による実施を目指しており、出欠連絡は電話、口コミ、模合、SNS、LINE、
  Facebookなどで確認することを原則とし、案内状の郵送は行いません。

 ② 余興などは式次第に前もって組み入れませんが、音響設備や簡易ステージは
  完備されているため希望者は施設側と直接連絡を取って調整し、当日実演してくだ
  さい。実演予定が確定しましたら翁長までご一報ください。

 ③ 会場のスクリーンに若かりし頃の写真をスライドショーで流したり、壁に掲示
  することをクラス幹事会で計画しています。そのための関連写真を募集しており、
  クラス幹事へどしどしご提供ください。デジタル処理後お返しします。

 ④ 会場での写真はスナップ写真を中心に撮影し、全体集合写真は時間を要するため
  次回は割愛します。

 ⑤ 同期会閉会後に二次会を希望されるかたはクラス単位あるいはグループごとに、
  場所決め、人数調整など、独自で予約するようお願いいたします。

【お願い】上記③の写真提供にご協力ください。

                                     以上
 

RSさん、京都観光予定の方へ・・・徒然なるままに

 投稿者:宮里賢  投稿日:2018年 4月28日(土)15時21分23秒
返信・引用
  RSさん。末吉さんですかね。ごめんなさい。先程、下記投稿を拝見しました。

「お店」とは、私が昨年12月24日に投稿した「ちばりよー北山高校」で記載した
百万遍交差点の100メートル程東側にある「いちゃりば」という店のことだと思います。
百万遍は、ネットですぐ確認できると思います。

RSさんはすでに帰沖されておられるでしょうが、ゴールデンウイークに京都観光をなさる方がいらっしゃると思います。そして、今日28日7時半より、NHKの「ブラタモリ」で先週に引き続き、
私の住んでいる東山界隈が紹介されます。
そこで、以下、徒然なるままに、京都の洛中と東山界隈について記します。

平安京は、南北が北の一条大路から九条大路まで、東西が東京極大路から西京極大路までとして
造営されました。東京極大路の東の川が鴨川です。
しかし西側は早くからさびれ、全体的に東側に移っていきました。
現在の京都御所は鴨川の近くにあり、京都一の繁華街は鴨川傍の四条河原町新京極です。
かっての平安京(現在の上京区、中京区、下京区)、特にその東部を洛中と呼び、鴨川から東山までの一帯(東山区、左京区)を洛東と呼びます。

京都駅は洛中の南端近く、かっての八条大路の位置にあり、そこから北へ延びる通りを烏丸(からすま)通りといいます。ちなみに、京都の地名は、南北の通りと東西の通りを合わせて呼ぶことが多いのです。

烏丸通りを北上すると、烏丸七条に東本願寺が有り、国道一号線の五条通りを過ぎての四条烏丸がRSさんの宿泊した辺り。四条烏丸から烏丸御池までが京都の中心ビジネス街です。
更に北上し、烏丸丸太町から烏丸今出川までの東側が京都御所です。

烏丸今出川交差点から今出川通りを東に向かいますと、南側が京都御所。北側が同志社大学でかっての薩摩藩邸。小松帯刀、西郷隆盛、大久保利通がこの辺りを拠点として活躍し、桂小五郎、坂本龍馬らも潜入しました。京都御所を過ぎると河原町今出川、そして、鴨大橋。ここで、洛北から流れてきた高野川と加茂川が合流して鴨川となります。この鴨川から東山までを洛東あるいは東山と呼びます。

鴨大橋を渡り、更に東に向かうと東大路今出川交差点。この交差点の東北にある知恩寺を百万遍と俗称してます。一説には、後醍醐天皇が最初にそう呼んだと言われています。
そこで、東大路今出川交差点を百万遍交差点と呼び、その一帯を百万遍と呼びます(那覇高の東側一帯を以前、二中前と呼んでましたよね)。
この百万遍交差点を東側100メートル弱進んだ場所に知恩寺の門があり、その門脇に、「いちゃりば」があります。

百万遍交差点の南東側、かっての尾張藩邸を中心として吉田山までが京大本部キャンパスになっています。知恩寺の東、今出川通りの北側が、上江洌君が勉学に励んだ北部キャンパスです。先週のブラタモリの最後に少し映っていましたね。その北部キャンパスの理学部側の門と農学部側の門の間に後二条天皇の御陵があります。後醍醐天皇の兄でこの方が早逝しなければ、後醍醐天皇、建武の親政、ひいては足利幕府も足利義政の銀閣寺もありませんでした。

更に今出川通りを東に進み、吉田山(実際には丘)の北までくると、東山の大文字山が正面に見えてきます。大文字山の麓に造営されたのが銀閣、現在の銀閣寺です。
そのまま東に進み、百万遍交差点から1キロメートル程の地点が銀閣寺道交差点。私は現在、この辺りに住んでいます。何度か書きましたが、ここから白川通りを北上すると洛北の岩倉、さらに大原、鞍馬、あるいは、比叡山に行けます。南下すると南禅寺方面、岡崎方面に行けます。

銀閣寺道交差点を東に300メートル程直進すると、銀閣寺の参道入口。更に東に100メートル程進むと銀閣寺の門になります。参道入口の小橋の下を流れるのが、琵琶湖疎水の分流です。琵琶湖疎水沿いの小径が「哲学の道」です。近くに住んでいた西田幾多郎がよく散策したことから、ハイデルベルグの「哲学者の小径」にちなんで呼ばれるようになりました。
ゴールデンウイークには、残念なことに、哲学とは真逆で、雑踏をかき分けて歩くことになります。

私は以前、銀閣寺と哲学の道の中間に住んでおり、部屋からは、ブラタモリで紹介された、竹囲いが正面に見えました。その一帯には義政の近習の子孫が住み続け、その一人である私の大家さんは、五山の送り火の火床を一つ先祖代々担当していました。
ブラタモリで銀閣寺内の高台から眺めた吉田山の手前の街並みが、現在住んでいる銀閣寺道一帯になります。

宮里 賢


 

京都の

 投稿者:7組 R S  投稿日:2018年 4月25日(水)10時07分3秒
返信・引用
  宮里さんへ   京都に来ています
宜しければ お店の場所を教えて下さい(分かりやすく)
四条烏丸に宿泊してます
 

2017年12月30日

 投稿者:3年8組18番  投稿日:2018年 4月13日(金)04時27分3秒
返信・引用
  誰かわかるかな?  

第1回クラス幹事会のご案内

 投稿者:翁長 亨  投稿日:2018年 4月10日(火)19時10分27秒
返信・引用
  前回同期会の際のクラス幹事のかた、または新たに幹事を引継がれた新幹事のかたへのご連絡です。

4月25日(水)19時、電波堂ビル8F S室において、2019年1月26日開催に向けたクラス幹事会を開きます。個別にショートメッセージ、eメールなどでご出席をお願いしておりますが、改めて当掲示板でもご案内いたします。

同期会会長  翁長 亨
onaga@iiot.or.jp
080-1277-5033
 

次回同期会 更新情報(3月5日)

 投稿者:翁長 亨  投稿日:2018年 3月 5日(月)12時59分0秒
返信・引用
  26期の皆さん、次回同期会について関係者数名で相談した結果、開催日と場所を以下のようにさせていただくこととなりました。

【開催日】2019年1月26日(土) 夕方開催ですが、詳細スケジュールはクラス幹事会後にご連絡します。

【場所】 沖縄県市町村自治会館 ホール 那覇市旭町116-37 (2016年開催場所と同じ)
     TEL 098-862-8181

『前クラス幹事へのお願い』
4月にクラス幹事会を開きますので、前クラス幹事の方々にお集まりいただき、次期クラス幹事の選出、今後のスケジュールの骨格を決めたいと思います。既に次期クラス幹事が確定しているクラスは、新クラス幹事にもご出席いただければと思います。クラス幹事会の詳細は別途ご連絡します。

同期会会長  翁長 亨
onaga@iiot.or.jp
080-1277-5033
 

次回同期会 更新情報

 投稿者:翁長 亨  投稿日:2018年 2月18日(日)09時23分39秒
返信・引用
  26期の皆さん、先日のご挨拶の際、次の同期会の開催時期の目標を今年11月ごろとお伝えした件について、その後の状況をご連絡します。結論から申し上げると、開催時期は年を跨って来年1月あるいは2月まで拡大して検討する必要がありそうです。

会場の選択肢として大きく分けると、前回の自治会館のように公共施設を利用するか、前々回の還暦祝いのようにホテルを利用するかの2つのパターンがあります。前者はコストをおさえられますが6か月以内の予約が原則となっており、後者はコスト高ですが半年以上先の予約が可能です。前者の場合、施設によっては半年以上先の予約について相談に乗ってくれるところもありますが、候補施設のホールは年次行事を行う常連客に既にほとんど1年以上先の週末まで押さえられていることがわかりました。

そのような状況ですが、現在、複数の施設およびホテルに仮予約を入れており、会場の利便性、コスト、開催時期等について、クラス幹事に集まっていただき、相談の上決めたいと考えております。後日、状況を更新しますのでお待ちください。
 

仲宗根君のある1日

 投稿者:松川  投稿日:2018年 1月31日(水)21時22分47秒
返信・引用
  今年もまた北イタリアのガルダ湖畔にある妻の実家の伯爵家の庭園で、環境と緑をテーマにしたガーデン祭りが開催される。家は歴史的建造物として国の指定を受けていて、広い庭園内に花や植物や自然食品の展示販売所などが立って多くの入が集まる。

館のあるガルダ湖は有名な観光地だが、近年は少し客足が落ち込んでいる。そこでこのガーデン祭りが考案され、妻の家の家族は全面的に協力することにしたわけだ。

祭りを主催しているのは地元の建築家のグループ。伯爵家では館を3日間開放して、年老いた家族の全員が祭りの顔となって催し物に協力する。家族が無償で活動をするのは、祭りが地域の活性化に寄与すると考えるからなんだ。

西洋には「ノブレス・オブリージュ」つまり「貴族の義務」という伝統的な考え方があるのは、君も知っての通りだ。古い貴族家に生まれた人間には、奉仕活動や慈善事業など、社会に貢献する義務があるとする思想だね。

妻の実家は13、4世紀ごろから続く家柄。二つの貴族家が婚姻を通して一つになった。その一方が13世紀、一方が14世紀に興(おこ)った、と文献にある。恐らく政略結婚ってやつだろうね。昔の貴族社会ではよくあった話さ。

一家はガーデン祭りのほかにもチャリティー夕食会やコンサート、文化・学術会議の場所の提供など、よく地域奉仕に動く。

館でチャリティー夕食会を開くと、時として20~30人の招待客で300~400万円程度が集まったりする。そういう時はキリスト教文化、特に慈善・博愛精神の底深さを強烈に思い知らされるよ。

伯爵家には主な館がそれぞれ違う地域に3軒ある。そのうちの一つ、ガルダ湖畔にある家は一家のメインの建物でパラッツォ(Palazzo=宮殿、館、~宮)と呼ばれる。城と言ったほうがいいかも知れない。アナクロニズムもここまでくればほとんど笑い話の世界さ。
館には妻の親と独身の叔父や叔母が同居している。彼らは団結して伯爵家を守って生きてきたが、皆年老いて一番若い叔父でさえ既に78歳。家のさまざまな行事が一人娘の妻の肩に重くのしかかりつつある。

若い頃は考えもしなかったが、今後は妻の「貴族の義務」に僕が付き合わなければならない事態がますます頻繁に起こりそうだ。
伯爵家には今は妻の老いた母と叔母がいるだけである。しかも義母は独自にも居を構えていて、そこと伯爵家を行ったりきたりする。そういう状況だから、二人の住人を続けざまに失った館の中は、普通以上に寂しくなっている。

僕は妻の実家の伯爵家の活動に付き合って多忙を極めた。

朝10時、湖畔の館を出発。

家のすぐ背後にある、およそ1000メートルの山中にある別荘に行く。別荘は修道院だった建物で、山の家にしては規模が大きい。伯爵家の持ち家はほとんど全てが同じ。大き過ぎて問題が多い。

建物の一部の修復作業がゆっくりながら進展していることを確認して、別荘に付随する敷地内を車で移動してアルピーニ(Alpini)の集会場に行く。

アルピーニとは「アルプスの兵士たち」のこと。アルプスを擁するイタリアの軍隊のうちの山岳部隊のことで、近代的な山岳歩兵隊としては世界で最古の組織である。

北イタリアの男たちは兵役義務に就く時、アルピーニを志望する者が多いが、前アルプス(南アルプスの南)の山々が目前に迫っているガルダ湖地域では、ほとんどの若者がアルピーニになると言ってもよい。

屋敷内にある集会場は、退役したアルピーニたちが親睦のために集まる場所である。そこには教会も建てられていて、元兵士たちにとっては,楽しい懇親会場であると同時に神聖な場所でもある。

彼らは毎年夏に大きな親睦会を催すのだが、その時には土地と建物を提供している伯爵家の全員が招待される。

しかしここ4、5年ほどは親睦会に参加するのは僕と妻の2人だけである。年老いた伯爵家の人々は、兵士らの親交パーティーに顔を出すのもままならなくなっていた。義父と叔父が亡くなった今はなおさらである。

15時過ぎに下山して湖畔の館に戻る。

1時間ほど休憩した頃、湖に面した庭園にざわざわと人群れの声。見るとトラックに積み込まれた椅子を若者らが下ろし始めたところ。

今夜は館でクラシック音楽のコンサートが開催される。これも毎年夏の恒例の行事。

コンサートは、地元住民はもちろん、多くの観光客にも楽しんでもらおうという趣旨で行われる。ガルダ湖畔の自治体が共同で計画して、貴族館や高級ホテルなどに協力を求めている。これも地域振興策の一環という側面があるのは言うまでもない。

地元では古くから「寛大な一族」として知られている伯爵家は、そういう行事には常に最大限の協力を惜しまなかった。もうほとんど妻の代になった現在、僕らが突然そういう伝統を否定すれば大きな波風が立つだろう。

でも正直いつまで続けるのかという疑問が、貴族でもイタリア人でもない僕の中に残らないわけではない。

音楽会は、5月にガーデン祭りが開催される裏庭とは反対側の、湖に面した前庭で開催する予定だったが、天候不良で屋内へ。かつて頻繁に舞踏会が開かれた大広間で行うことにする。

大広間は吹き抜けのとんでもなく高い天井のある空間だが、舞踏会ばかりではなく音楽会もまた良く開かれる場所で、音響的にも評判のいい部屋である。

夜9時過ぎにコンサート開始。

会場は立ち見も出る盛況。人で埋めつくされた。屋外開催ではなかったため、残念ながら入場できない人々も出た。
夜11時、コンサート終了。

夜11時半頃、コンサート出演者や主催者の皆さんと共にレストランへ。慰労反省会。

午前1時半過ぎに帰宅。

という1日だった。
 

仲宗根君のプロフィール

 投稿者:松川  投稿日:2018年 1月28日(日)17時25分50秒
返信・引用
  TVドキュメンタリー・ディレクター。イタリア在住。東京、ニューヨーク、ミラノの順にドキュメンタリー、報道番組を中心に監督、制作。米PBSのド キュメンタリー・シリーズ「Faces of Japan―のりこの場合」により、モニター賞ニュース・ドキュメンタリー部門最優秀監督賞受賞(ニューヨーク)。1990年以降、番組制作プロダクション「ミラノピュー」代表(イタリア)。フリーランスとなってからは兼ブロガー(自称)。 また方程式【もしかして(日本+イタリア)÷2=理想郷?】の解読にも頭を悩ませている愚か者。慶應義塾大学、ロンドン国際映画学校卒。

僕の妻の実家は北イタリアの古い貴族家である。文献や家系図では、家の興りは13世紀頃まで遡(さかのぼ)ることができる。

一家はオーストリア女王のマリアテレジアによって伯爵に叙せられた。マリアテレジアはイタリア語ではマリアテレザである。女王にあやかって付けられた名前はイタリアにも多いが、妻の名もたまたまそのうちのひとつでマリアテレザという。

女王が家に与えた爵位には男女の区別はない。従って、呼び方が女性形になるが、妻自身も伯爵である。同時に彼女は伯爵家の18代目の跡取りでもある。

つまり僕は、ヨーロッパの女伯爵を妻に持つ一介の日本人である。これが僕のカミングアウトだ。

こう書くと大変な女傑と暮しているように聞こえるかも知れないが、妻はいたって普通の大人しい女性である。若い頃はイタリア人らしくピーチクパーチク良くしゃべったが、最近は少し年を取ってきてカラスみたいにギャーギャーわめくこともある。

僕は最近まで、妻と妻の実家の事情を隠す努力をずっと続けてきた。


理由は、今でも大きな存在感を持つ彼女の実家に、僕が経済的に世話になっているのではないか、と人に勘ぐられるのがシャクだったからである。

僕は妻の実家とは良好な関係にあるが、彼女の実家からは一銭の援助も受けたことはない。自分の甲斐性で妻と二人の息子をきちんと養ってきた。しかし、伯爵家のことを知れば、人は必ず玉の輿ならぬ「逆玉の輿」などと陰口をたたくだろう。その方が話が面白い。僕がいくら弁解をしようとも、人の口に戸は立てられない。僕もヤジウマ根性盛んなテレビ屋の端くれだ。それぐらいの認識はある。

とは言うものの、僕はヨーロッパの歴史がいっぱいに詰まった伯爵家の有り様(よう)を、日本人にも知ってほしいと強く思ってもきた。家屋が博物館などになって過去の遺産として展示されている貴族の歴史などではなく、今でも実際に人が住まい、呼吸し、生き生きと活動している貴族館の様子を実体験として味わってもらう。

それはめったにできないことだし、面白くて少しはためにもなる貴重な体験だと僕はいつも信じていた。なぜなら、僕自身にとっての伯爵家とは、いつもそういうものであり続けていたから。

そこで自分の中で基準を設けて、それに当てはまる人だけを家に招待した。その基準とは「僕がギャクタマ男の、怠惰なヨタロー的人物ではないことを知っている人々(笑)」というものだった。

その筆頭は家族や友人である。でも日本で普通に仕事をこなし、生活をしている彼らは、そう簡単にはイタリア旅行はできない。従って数は限られた。

次には仕事関係の友人知人。仕事上の付き合いだから、当然彼らは僕の仕事振りを知っているし信頼関係もある。その流れで、大きくお世話になったNHKとWOWOWのプロデュサーやスタッフを中心とする人々に落ち着いた。つまり僕にとってのいわば内輪の皆さんには、妻と伯爵家のことは実は周知のことではあったのである。

このブログを書き続けるなら、僕はどこかで伯爵家のことを話さなければならないと分かっていた。なぜなら、僕が伯爵家から金銭的な援助を受けていない事実を別にすれば、その家の存在は、イタリアに移住してからの僕と僕の家族の生活に深く関わりを持ち続けてきたし、これからも関わり続ける。僕と妻はロンドンで出会い、結婚して東京に移住し、そこからニューヨークに移り住んで、最後に妻の国ここイタリアにやって来たのである。

また、ブログに記す事柄の中には、伯爵家のことを話しておかなければ、恐らく意味が良く分からないような内容も出てくるに違いない。

僕は思い迷った末にこうしてカミングアウトすることにした。

そうすることで、もしかすると自慢だ、気取りだ、威張っているなどと誤解や曲解を受けることがあるかも知れない、とチラと考えないでもなかった。しかし、そういうことは何をどう書いても必ず起こることだから悩んでも仕方がない。あえて無視して僕は早いうちにこうして告白をしておこうと決めたのである。

僕は妻の出自を自慢したりする気は毛頭ないけれども、根が軽佻浮薄でアバウトでノーテンキな男だから、またできれば常にそうありたいと努力をしているつもりの人間だから、伯爵家の在り方や歴史などをひどく面白がる傾向がある。

カミングアウトをした以上は、そうしたことも今後できるだけ書いていくつもりだが、それを自慢や得意やおごりなどと捉えられても困る。

なぜなら、もしかすると、まさにそれが僕のねらいかもしれないではないか
 

青春時代

 投稿者:月光仮面  投稿日:2018年 1月28日(日)09時27分36秒
返信・引用
  翁長君、松川君、宮里君
こんにちは。僕は君達三名良く知ってます。匿名で申し訳ない。
君達みたいに一銭にもならないクラス会運営に労をおまず参加している人は偉い!!!
僕にはとうてい出来ないことです。
松川君、今もサッカー部のメンバーとは友達しているのかな?
仲宗根君といえば、高校一年で、50メートル6秒6。
最初これ聞いた時、測り間違いだろ?と疑い。聞くと同走者がかなりの俊足で、その彼に大差だったとのこと。納得しました。
サッカー部はみんな仲良さそうでぞろぞろ大勢で歩いていて羨ましかったです。
宮里君、翁長君、そして他の皆さん写真投稿出来るみたいですよ。
失礼しました。
 

ご挨拶

 投稿者:翁長 亨  投稿日:2018年 1月23日(火)17時32分51秒
返信・引用
  那覇高26期卒業生の皆様、3年13組に在籍した翁長 亨です。このたび那覇高26期同期会の会長を山里 清氏から引き継ぎ、次回同期会を担当することになりました。とは言え、数年前までの35年間を県外で過ごした身、いまだ同期の人的ネットワークに乏しいため、関係者の強力なご支援を得ながら進めていきたいと考えております。どうかよろしくお願いいたします。

これまでの4年ごとの開催に対し、還暦祝い以降、2年毎の開催を希望されるかたが多いため、次回は2018年の11月開催をターゲートに計画したいと考えています。後日、前任のクラス幹事に集まっていただき、重任/新任を明確にして連絡網を作り、全体計画を練っていくつもりです。基本は低予算で楽しめる同期会です。

決定事項は、都度、当ホームページにアップしていきますので、時々アクセスいただくようお願いいたします。

同期会会長  翁長 亨
onaga@iiot.or.jp
080-1277-5033
 

イタリアより②

 投稿者:松川  投稿日:2018年 1月20日(土)10時58分36秒
返信・引用
  僕はシチリア島にたくさんの友人がいる。最近は仕事がらみで出来る友人も多いが、イタリアに住み着くずっと以前からの友人もかなりいる。その中でも最も親しいのは、ロンドンでの学生時代に知り合ったサルバトーレである。僕よりも4歳年上のサルバトーレは、当時はまだパレルモ大学の学生で、一年間の予定でロンドンに語学留学をしていた。イタリアでは30歳近くになっても大学に籍を置いて勉強をつづけている学生が多い。サルバトーレもその頃はすでに28歳になっていた。


サルバトーレは、ロンドンからシチリアに戻った翌年に大学の哲学科を卒業して弁護士のシルビアと結婚した。二人には現在3人の子供がいる。ロンドン時代は「ラテン・ラバー」ともてはやされたサルバトーレも、今は巨大な太鼓腹を抱えるただの田舎のオヤジになって、会うたびに僕を喜ばせてくれる。ロンドン時代、彼のモテモテぶりに少なからず嫉妬心を抱きつづけていた僕は、最早すっかりオヤジ振りが板についた同士とは云え、下腹の有様だけを見れば、今はこっちの方がよっぽど「ラテン・ラバー」だと優越感にひたるのである。



秘密というのではないが、僕は彼と知り合って20年程が経った頃、サルバトーレの口から意外なことを聞かされた。彼の祖父はれっきとしたマフィアの構成員で、組織内の抗争に巻き込まれて射殺されていたのである。祖父はあの悪名高いコルレオーネ村に近い山間部のマフィアファミリーのボスだった。彼はマフィアがまがりなりにも「名誉ある男たち」としての自恃(じじ)を持っていた頃の最後の世代に当たり、主として麻薬密売を一手に握って台頭してきた、若い世代の構成員とぶつかって殺害されたのである。



映画「ゴッドファーザー」の中にマーロン・ブランド扮するドン・コルレオーネとその周辺の対立が描かれているが、あれとそっくり同じ状況がシチリアのマフィアの間で実際に起こっていたのである。サルバトーレの祖父はシチリアの小さな村でドン・コルレオーネに酷似した立場にあった男。これはマフィア関連の文献にも記載されている実話である。



サルバトーレは僕がマフィアに関心を持っていて、シチリア島に行く度に少しづつ情報を集めていることを知っていた。同時に彼は、僕がシチリア島や島の住民を何かにつけてすぐにマフィアと結びつけて否定する人間ではないことも知っていた。だからこそ僕らは長い間友人でありつづけられたのであり、彼はその頃になって祖父の話を持ち出したのだろうと思う。



言葉を変えれば、サルバトーレがマフィアのボスの一人だった祖父の話をしても良いと思うところまで僕を信用するのに、20年の歳月が必要だったとも考えられる。もっともサルバトーレの祖父のことは、僕が無知だっただけで、知る人ぞ知る史実なので秘密でもなんでもなかったのだが、僕は知り合って20年も経った後に、彼自身の口から直接その話が出たことにある種の感慨を覚えたのである。



しかしながらサルバトーレも又シチリア島の人間である。マフィアについては余り立ち入ったことは話したがらない。それは同じシチリア人である彼の妻のシルビアにも言える。ただ僕らは次のような会話をすることはある。



僕「マフィアの構成員って見ていてすぐに分かるの?」

シ「分かるわよ。それは」

僕「サルバトーレ、君も?」

サ「うん。分かる」

僕「君ら二人が分かるということ? それともシチリアの人は皆んな分かるということ?」

サ「分かるさ。誰も何も言わないだけだ」

僕「ふーん。日本のヤクザみたいなものなのかな」



サルバトーレもシルビアもヤクザのことは知っている。僕がマフィアにからませて時々話題にすることもあるが、それでなくてもYAKUZAというのは国際的な言語になっていて、インテリの部類に入るイタリア人はけっこう知っていることが多い。



シ「ヤクザはいかにもヤクザって格好をしているの?」

僕「少し前まではね。今だにそういうのもいるけど、ふつうのビジネスマンみたいになって分からなくなったのも多い」

サ「それでも分かる訳か」

僕「何となく。何かあるとすぐ分かる」

シ「マフィアは何もなくても分かるわね」

僕「服装とかそういうの?」

サ「そうじゃなくて、雰囲気。動き方とか目の表情だとか、握手の仕方、抱擁の仕方・・・いろいろな要素がある」



シチリア人の誰もがマフィアの構成員を即座に見抜く、というのは少し大げさなような気もするが、僕はサルバトーレとシルビアに関しては彼らの話を信用する。サルバトーレは祖父の関係で少しはマフィア内部のことに詳しいはずだし、シルビアは弁護士としての立場上、同じようにマフィアに関してはたくさんの情報を持っているはずである。



マフィアを相手にする司法関係者は、シルビアのようなシチリア人でなければ意味がない、と良く言われる。それはマフィアの精神構造とシチリアの人々のそれが同一の土壌にあって、よそ者には決して踏みこむことができないということである。



たとえば1992年にマフィアに殺害されたジョバンニ・ファルコーネ判事は、シチリア人であったためにマフィアをとことん追い詰めてイタリアの英雄になった。彼はサルバトーレが話したような、マフィアの構成員に独特の動作や目の表情や言葉遣い等に精通していた。同時に彼らを尋問するに当たっては、どういう話し方をしてどういう態度で臨めば彼らに屈辱感を与えず、しかも判事自らの権威を保つことができるかを知悉(ちしつ)していたという。マフィアは屈辱を最も恐れ、権威には従順なところがある。ただし権威とは、彼らが彼らだけの基準で認めた権威である。普通の人が権威と認めるものでも、マフィアはその気になれば何のためらいもなく否定し破壊する。



要するにファルコーネ判事は、シチリア人同志でなければ通じ合わないものを最大限に活かして、仕事をしたのである。そのおかげで彼は、口を割らせるのが難しいマフィアの男たちを次々に落として、組織を追いつめていった。そしてまさにその力量が災いして、彼は高速道路を走行中にマフィアが道路に仕掛けた爆弾によって車ごと吹き飛ばされた。マフィアは時速140キロメートル以上のスピードで走っている判事の車を、遠隔操作の爆破装置で正確に破壊したのである。その2ヶ月後には、彼と二人三脚でマフィアを追いつづけていた、同じシチリア島出身のパオロ・ボルセリーノ判事も殺害される。



シチリア出身のマフィア専門の法曹は、ファルコーネ判事の前にももちろんいた。しかしそのほとんどが目立った成果を挙げられずにいた。それどころかマフィアとの癒着を疑われて世論の批判を浴びる有様だった。シチリア出身の法曹は、同じシチリアの犯罪組織であるマフィアを良く知っている分、マフィアの男たちに取り込まれやすい危険がいつもつきまとっている。ジョバンニ・ファルコーネ判事と相棒のパオロ・ボルセリーノ判事は、誰もが認める勇気と行動力を持って真っ向からマフィアに立ち向かって行った、シチリアの司法史上ほとんど初めての、と言っても良い現地出身の裁判官だったのである。



“マフィアと闘う者はたくさんいる。しかし彼らは実は何もしていない。その証拠に彼らはまだ生きている”とシチリアの人々は良く口にする。マフィアに真剣に立ち向かえば消される、というやり切れない現実を言い当てた格言である。その格言通り二人の判事はこの世から消えた。



実際にシチリア島に足を運び、人々に出会い、資料を集めたりしながら、僕はとりとめもなくマフィアについて考えを巡らせつづけている。いつかはそれをテーマにきちんとした作品を作ってみたいからである。


僕はイタリアの友人や知人に良くそのことを話す。すると誰もが決まって「やめた方がいい。命にかかわるぞ」と真剣な顔で僕に忠告する。僕は命知らずの勇敢な男ではないから、そのたびに少なからずビビってしまう。同時に彼らのリアクションは「マフィアの亡霊」に脅えているだけなのではないか、とも思う。



そうやって不安と疑問と恐怖の間をオロオロと行き来しながらも、僕は一つだけ「大丈夫、危険なことはない」と自分にいいきかせることのできる物を持っている。



それはシチリア島の僕の親友、サルバトーレの存在である。サルバトーレは、僕がマフィアを題材にした作品を制作できないかと模索し続けていることを、誰よりも良く知っている。しかし、彼は一言も危ないとか、やめておけ、といった忠告をしたことがない。むしろ、僕の意図するところには賛成である。弁護士で奥さんのシルビアもそうだ。



マフィアを知悉している二人は、僕が知らず知らずのうちに危険な道に踏みこんだ場合、すぐに警告をしてくれるであろう・・・・・と、僕はひそかに確信しているのである。



とは言うものの、最近の僕は、マフィアを直接に取り上げる映像ドキュメンタリーの意義については、かなり大きな疑問を抱いている。多くのテレビ番組や映画や活字媒体が取り上げ続けてきたテーマに、果たして自分なりの視点や思いや発見を付け加えることができるのか。またマフィアの本質になんらかの形で僅かなりとも迫ることができるのか。そうした重大な疑問に僕は何一つ答えを見つけ出せずにいる。



結局、マフィアをテーマに新しく映像作品を作るなら、ドキュメンタリーではなくフィクションの形でのそれしかないのではないか、と僕は感じ始めている。それは映像ドキュメンタリー監督、あるいはドキュメンタリー作家を自負している自分としては、屈辱であり敗北宣言にも等しい感慨だ。が、ことマフィアに関する限り、僕は茫漠とした広がりを見せる情報と見聞と現実の前に、今のところはなす術もなく立ち尽くしている、という風なのである。
 

イタリアより

 投稿者:松川  投稿日:2018年 1月18日(木)21時31分4秒
返信・引用
  いつも宮里君だけが投稿しているので、イタリア在住の仲宗根雅則君の承諾を得、彼のブログを転載したいと思います。まずは、イタリアと言えば「ゴッドファーザー」でお馴染みのマフィアをテーマにしたブログです。

シチリア島は紀元前のギリシャ植民地時代に始まり、外からの大いなる力によって支配され続けた。
国(島)を乗っ取られて迫害を受けたと感じた人々は、列強支配への反発から島民同士で結束し、かたくなになり、時間経過と共にさらに団結を強化して行った。
その団結の要としてマフィアという秘密結社が形成されて、人々を保護したという説がある。その主張には一面の真実がある。マフィアは当初から犯罪組織として存在したのではないのだ。

しかしマフィアは支配者への抵抗組織という顔を持つと同時に、時間の経過と共にシチリアの中で支配者とは関係なく存在してきた、シチリア社会だけの必要悪でもあったと考えられる。
マフィアは麻薬密売や恐喝や賭博などの犯罪に手を染める一方で、土建業に始まるシチリア島の多くの産業に入り込み、雇用を通して人々を支配し、彼らの票を一手に握って政治家をも支配する。
それはたとえば日本の片田舎で、発展する都会の富に全く浴さないと感じた人々が、土地の山を切り開いたり、施設や道路を作ったりする土建業者にぴたりと寄り添う心理と極めて似通っている。
マフィアは殺人や麻薬密売やテロに手を染める犯罪シンジケートである前に、土地開発にまつわるあらゆる利権を握っているシチリアの有力者、あるいは権力者とも呼べる存在なのである。

「政治は生活なり」という感覚は都会人には良く分からない。しかし東北や山陰等々の片田舎や奄美・沖縄等の離島に行けば、町長選挙や村長選挙が直接に生活に結びついている構図が日本にもいくらもある。
就職先のない貧しい田舎の人々にとっては、A候補を支持し、A候補が当選することは死活問題である。なぜならばA候補が当選したあかつきには、村役場や施設 で息子や娘が仕事を得るからである。
あるいはA候補を通して公共事業が導入されて、仕事が生まれるからである。そしてその場合には、A候補を支持した者により多くの仕事 が行くのは、火を見るよりも明らかである。
それと同じようにマフィアは建設会社を経営し、建設会社を通して村人を支配し、村人の票を一手 に握って政治家を支配し、その単純な構図をさらに拡大してイタリアの国政にまで入り込んでいる。

そこまでは日本の土建業者や米農家を一手にまとめる村会議 員と何ら変わるところはない。シチリア島は、基本的に土建業者であるマフィアに生活の糧を握られている、巨大なムラ社会なのである。
土建業者であるマフィアは、そこで儲けた金を元手にあらゆる事業に進出して、ますます強くなった。強くなるためには殺人を犯し恐喝をし無差別殺戮の爆弾テロにまで手を染める。
事業は麻薬密売、売春、密貿易とどんどんエスカレートして、巨大犯罪組織としての側面がふくらんでいくが、貧しい村や町の人々の生活に密接 に関わっている土地の土建業者あるいはこわ持ての有力者、という基本的な立場は少しも変わることなく保ちつづけている。
もっと言えば、シ チリアの人々の生活を助けてくれるのは、ローマの政治家に代表される大陸(シチリア人はイタリア本土を良くそういう風に呼ぶ)の力ではなく、その土地土地 のマフィアの男たちなのだ、と人々に思いこませるだけの力を保持している。
そこがシチリアにおけるマフィアの強さであり、マフィアとはシチリア島そのものだと僕が感じるゆえんである。

シチリアのマフィアはシチリアの人々のメンタリティーが変わらない限り根絶することはできない。同時にマフィアが征服されない限りシチリアの人々のメンタリティーは変わらない。マフィアはそれほど深く広くシチリア社会の中に根を張っている。
マフィアの起源についてはいろいろな説があるが、元々はシチリア島西部に起こった、支配者フランスへの抵抗組織だという説が有力である。というよりも、シチリアの多くの人々がそう信じたがっているようである。

その説に従えば、MAFIAという名も「Morte Alla Francese Insurrezione Armata」(武器を持って立ち上がれ。フランス人に死を!)」の頭文字を取ったものだということになる。意味は通じるのである。
また同じような解釈で「Morte Alla Francese Indipendenza Autonomia」(フランス人に死を! そして独立と自治を)、あるいは 「Morte Alla Francia Italia Anela(フランスに死を、これはイタリアの叫びだ)」の略語という説もある。
そうした解釈は、マフィアに少なからぬ連帯感を持っている人々のこじつけのような気が僕はする。第二次大戦時のナチスに対するフランスやイタリアのレジスタンス運動に似せて、マフィアをシチリアの民衆の味方として位置づけようとする作意が感じられるのである。

マフィアの持つおどろおどろしいイメージや実態には、むしろ次の二つの説のほうが良く似合う。一つは大昔シチリア島のパレルモ地方を支配していたアラブの種族「 Ma Afir(マ・アフィル)」から来ているという説。 またもう一つは、フランス兵に娘を殺された母親がシチリア方言で「Ma Figlia! Ma Figlia ! 」(娘よ、娘よ)と泣き叫びつづけたことから来るという説である。 Ma Figliaはシチリア訛りの発音では「マフィア」とほとんど区別がつかない。
西洋人がアラブ人に抱く不気味なイメージ、そして哀れなシチリアの農婦が娘の亡骸を掻き抱いて号泣する図。そうした不可解な感じ、土着的なもの、悲哀、古代の粘着感・・・のようなものがマフィアの本質であって、決してレジスタンス運動のような英雄的な、しかもある意味で近代的な思想や歴史を持つ男たちの集合体ではなかった、と僕は思う。

いずれにしても、それらの説には一つだけ重大な共通点がある。つまりどの説も支配され、蹂躙されつづけたシチリアの人々の悲劇や怨念や復讐心や詠嘆を背景にしてマフィアが生まれた、と主張している点である。
それは前述したように恐らく正しい。前近代的な様相を持つシチリア社会は、以後少しづつ変化をしながらも基本的には巨大なムラ社会であり続けている。
その最も象徴的な事例が、選挙でマフィアに支配されていても疑問を感じない、あるいは疑問を感じていない振りをする、旧態依然とした人々の行動心理であり島社会の在り方なのである。
 

気張れ全国の受験生、ちばりよー女子駅伝沖縄代表・・・徒然なるままに

 投稿者:宮里賢  投稿日:2018年 1月14日(日)13時10分14秒
返信・引用
   昨13日、本14日はセンター試験。
皆さんの中にも、お子さんやご親戚が受験されている方もいらっしゃるでしょう。
北陸等雪国では、雪にも悩まされていますね。
全国の受験生は、雪や寒さに負けず、気張って、試験に取り組んでもらいたいものです。

 京都では、12時30分より全国女子駅伝が行われています。
 下記、「ちばりよー、北山高校」に記載した店の東側ガラス窓に「ちばりよー、女子駅伝」南側ガラス窓に「ちばりよー沖縄代表」とありました。
 1時5分現在、第三走者が走っています。第四走者の百万遍交差点をカーブした直後にテレビで観ることができるかも知れません(もっとも、これを見られている方の大部分にとっては、既に終了しているでしょうが)。
 沖縄代表。寒さに負けず、気張って、30位台で走ってもらいたいものです。

宮里 賢
 

謹賀新年・・・徒然なるままに 

 投稿者:宮里賢  投稿日:2018年 1月 3日(水)19時58分14秒
返信・引用
   謹賀新年。
 26期同期の皆さん。お元気でしょうか。
 仕事、ご自身やご家族の健康、人間関係が順調だった方。今年も更によい年にしましょう。
しかし、人生、思うようにいかず、ご不幸に遭われていられる方も少なくないと思います。
そのような方を含め、同期の皆さん全員が、昨年に比してより良き年となられるよう祈っていま す。

 さて、徒然なるままに、私の三が日を記します。
 元旦。東山からの初日の出は拝めませんでした。午後は晴れ間も広がり、神社巡り。
 まず、近所の吉田神社。徒然草の吉田兼好ゆかりの神社です。
 続いて平安神宮。京都御所を模した神社です。全体の構造は首里城と少し似ています。京都御所は唐の、首里城は明の宮城を模しているので当然ですが。
 その後、北野天満宮。菅原道真が大宰権帥に左遷された時、この地にあった道真邸の梅が主人を慕って大宰府まで飛んで行ったということで、全国の天満宮境内には梅の木があります。

 2日。比叡山延暦寺へ。銀閣寺近くの銀閣寺道より修学院離宮近くの修学院道まで市バス、修学院より比叡山の麓八瀬まで叡山電車。八瀬から、冬季は三が日のみ特別運行しているケーブルカーとロープウエイで比叡山頂上へ。日陰には凍結した雪。
 延暦寺は最澄が開き、法然、親鸞、日蓮、栄西、道元が学び修行した場所。今に続く鎌倉仏教の開祖たちも、この地で、思い悩みつつ自らの進むべき道を模索していたのでしょう。
 夕方、ケーブルカーで、滋賀県大津市坂本側に下山。京阪電車石山坂本線、同京津線、京都市バスを乗り継ぎ、清水道へ。産寧坂、高台寺道の歴史的町並みを散策しながら、八坂神社(祇園社)へ。八坂神社から祇園を散策しながら、四条通り界隈を西へ。鴨川を渡り、河原町通りの四条と三条の中間、坂本竜馬と中岡慎太郎が襲撃された近江屋跡で食事。隣の隣の席は外国人のカップル。ここ3、4年、本当に増えました。

 今日3日は資料や書類の整理で部屋にいました。天気が目まぐるしく変化し、日が差しているかと思うと、雪が舞ったりして、1キロ程しか離れていない真東の大文字山も見えない時もありました。東北にある比叡山を眺めると山頂部分が白くなっていました。

 皆さんの三が日の様子も知りたいものです。
 皆さん。せっかく、この掲示板があるのです。投稿しましょうね。

 宮里 賢
 

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