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備忘録バックナンバー(8)

 投稿者:HP管理者  投稿日:2008年 9月30日(火)08時16分48秒
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  (小宮路先生備忘録バックナンバー)
7/21〜7/26分


父親の足跡、師匠の足跡 投稿者:敏・記  投稿日: 7月26日(土)06時07分49秒

・きょう(26日)が誕生日の方【贈ることば】『あなたは、わたしの目には高価で尊い。わたしはあなたを愛している』(イザヤ書43章4節)・千栄学姉(横浜市)・紀世江学姉(小平市)・真理子学姉(厚木市)・雅志兄/真奈姉結婚記念日(アメリカ)・バーナード・ショー(イギリスの劇作家、1856年)・ユング(スイスの深層心理学者、1875年)《歴史メモ・キューバ革命始まる(1953年)・「ポツダム宣言」発表(1945年)》

 だれかを自分の理想としてあこがれ、その行為を真似るのは子どもや青年の特徴である。スポーツ選手や俳優など彼らのアイドルが殆ど神格化され、大きな感化を与えている。彼らは彼らなりのアイドルたちと同じような服装をし、同じような恰好で歩き、話し、他人から見たら滑稽に思えるほど似ようとしている。
 これは青少年に限らず、芸術の道や教育界でもいえることで、師匠や恩師の仕草とか習慣など、そのまま弟子が見よう見まねで真似して、だんだん似てくるのではないかと思う。自分のことになってしまうが、小原国芳先生のご講演や学生への講話のときは、話の途中よく歌をはさまれるので、先生の命令でこの者はよくピアノのところで待機するという光栄に浴した。おかげで、先生はどんなお話の時でも箇条書きにした紙片を持っておられたこと、長々と書いた原稿用紙など持っていなかったこと、またお話の中で、次々に偉人の名句や聖書のみことば、讃美歌などが口から出て来て、その暗誦力のすごさにはただ驚かされたこと、また教壇の一箇所にとどまるのでなく、舞台狭しとばかり動き回られてお話をされたことなど、心に焼きついたのだった。
 そのおかげなのか、この者の講演のときなど、先生のやり方に少しは似て来たのでは?と思い出し、こっそり自惚れている次第である。とにかく親や教師が、どれほどその子どもや弟子たちに大きな感化を与えるかを述べたかったのである。
 二つの家庭の父親の話がある。
 酒場で長い間過ごしていた父親が、雪の降る中を帰って来た。翌朝小学生の息子は家から出て遊んでいたが、やがて帰って来た。畑を横切って家の前まで歩いて来たとき、「どうしてそんな歩き方をするのか」と友だちが尋ねた。その時息子は「雪の上のお父さんの足跡の上を歩いているんだよ」と答えた。彼は酔っぱらった父親の曲がりくねった歩みに従って来たのだった。
 もう一つの家庭の話である。寝たきりになった老いた父親を、忙しい商売をしている或る夫婦は懸命に看病した。老いた父親の喜びの一つは入浴だったが、それが大変な仕事で夫婦で両脇をかかえて浴槽に入れてやるのである。或る冬の日、仕事で帰宅が遅くなった夫婦は、父親の入浴を翌日に延ばそうと思ったが、父親の顔を見るとそういうわけにゆかず、こういう時こそ頑張らねばと、子どもにも手伝わせて父親の入浴を済ませた。老いた父親への入浴お世話が終わった時、小学生の子どもは「お父ちゃんは偉いな。お父ちゃんがおじいちゃんみたいになったら、ぼくが風呂へ入れてあげる」と言った。
 聖書のことば『わたしがキリストにならう者であるように、あなたがたもわたしにならう者になりなさい』(第一コリント書11章1節)





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あなたの量りはどんな量り? 投稿者:敏・記  投稿日: 7月25日(金)03時34分56秒

・きょう(25日)が誕生日の方【贈ることば】『あなたは、わたしの目には高価で尊い。わたしはあなたを愛している』(イザヤ書43章4節)・小百合学姉(大和市)・修二学兄(多摩市)・宏美学姉/直美学姉(上水内郡)・亨学兄(川崎市)・幸田露伴(作家、1867年)《歴史メモ・ステイーヴンソン、蒸気機関車を発明(1814年)・東海道新幹線、東京ー新大阪間の全線試運転始まる(1964年)》

 太古の昔から遠い未来に至るまで、人間が人間であり続けるかぎり、世界中どこにいたって、『人間関係』の悩みの種は尽きない。人間がロボットではなく、それぞれの意志感情を持つ存在であるかぎり、誰でも人間関係の問題から逃げることは出来ない。しかし問題が生まれる以上、常に答えだって存在するはずである。聖書が教えるところの一つの方法は、「自分が人を見る見方をチェックしなさい」というのである。私たちは、周りの人々を見て評価し、或いは比較しているわけだから、問題は他人にではなくその時の自分のあり方のほうが重要だというのである。『あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられ、その上になお増し加えられるであろう』(マルコ4章24節)。
 あるとき前後して、新しい町に引っ越して来た二人の人たちがあった。彼らはそれぞれに新しい隣人たちに興味を持っていたので、町の入り口の広場に坐っていた老人を見つけて一人目の人がこう尋ねた。「おじいさん、私は新しくこの町に引っ越して来たのですが、この町の人たちはどんな人たちですか?親切な良い人あちですか?」と。すると老人は彼の顔をのぞき込むようにしながら、「あなたが、今までおられたところの人たちはどんな人たちでしたか?」と聞いた。「前にいたところの人たちですが、いや、全くひどい人たちでしたよ。ずる賢くて、うそつきで、口うるさく、ちっとも信用出来ませんでした。あの町を出ることができて、せいせいしているところです。この町の人たちは、そんなことはないでしょうね」。「そうでしたか。お気の毒ですが、この町の人たちも同じですよ。あなたが前におられた町の人たち以上に意地が悪く、付き合いにくいかも知れませんよ」と老人は申し訳なさそうに答えた。彼がいかにもがっかりしたように肩を落として去ったあとに、別な人がやって来た。
 「こんにちわ、おじいさん。新しくこの町に越して来たばかりなんですが、皆さんとお友だちになりたいと思っているんですよ。ここの人たちはどんな人たちでしょうか?すぐお友だちになってもらえるでしょうか?」と聞いた。すると老人は再び、「あなたが今までおられたところの人たちはどうでしたか?」と前の人に聞いたのと同じことを尋ねた。すると彼は、「ああ、前にいたところの人たちですが、それは素晴らしい人たちでした。親切で、愉快で、思いやりがあって、とても居心地がいい人たちでした。転勤で仕方なく引っ越して来たのですが、できることなら、あの町を離れたくありませんでした。それは素晴らしい町で、素晴らしい隣人たちでしたよ」とにこやかに答えた。
 すると老人は嬉しそうにしながら、今度はこう言った。「それは良かったです。この町の人たちも同じです。親切で、愉快で、思いやりがあって、気持ちの良い、付き合いやすい人たちですよ」と。
 隣人を愛し、信頼して生きる人には、同じようにその人を受け入れ、暖かい交わりを保とうとする人が現われるのである。私たちの持つ量りに気をつけて歩もう。





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人生の方向音痴にはなるまい 投稿者:敏・記  投稿日: 7月23日(水)01時57分30秒

・広島市と呉市での講演のため、二日間のお誕生者の紹介【贈ることば】『あなたは、わたしの目には高価で尊い。わたしはあなたを愛している』(イザヤ書43章4節)
・きょう(23日)……・典子学姉(神奈川中郡)・明子学姉(島田市)・あゆみ学姉(座間市)・隆雅学兄(さいたま市)・澄子学姉(相模原市)・直子学姉(市川市)・二宮尊徳(篤農家、1787年)*広島市私立幼稚園教師夏期研修会講演(15:20分から17:20分「広島ガーデンパレス大広間」)
・明日(24日)……・悠起子先生(長野市)・聖子学姉(大分市)・公子学姉(長野市)・五造学兄(厚木市)・夏子学姉(町田市)・ジョン・ニュートン(英国人で「アメイジング・グレイス」の作者、1725年)*呉市「聖慈幼稚園」で講演(午前中)

 何年か前になるが、東京都内の消防庁が行なった一つの実験結果が朝刊に出ていた。火事の際の避難訓練の実験で、迷路を使ってのちょっと複雑な条件のもとで行なわれたものだった。実際に火事が起こり煙が立ち込めると見通しがつかないので、実際に煙を立ち込めさせた場を想定し、矢印のついた迷路を歩き、帰りには矢印をはずしてさっきの道順を思い出しながら戻るというものである。この実験をして判ったことは、かなり多くの人が「方向音痴」だということだった。
 ところで迷路で迷わない人があったとしても、人生という旅では全くの方向音痴の人が案外と多いように思われる。毎日の忙しい生活のくり返しの中で、いったい自分はどこに向かって進んでいるのか?人生の目的は何だろうか?という最も大事な問いさえ持たないまま過ごしている人が何と多いことだろう。そして思いがけない苦難という壁にぶっつかったり、苦悩のもやの中にはいると、方向がわからず右往左往し、飲酒や旅行で解決出来るという錯覚を起こす人もいる。
 ところで、動物の中での一番の方向音痴は羊だという。羊は自分の力ではどこにも行くことが出来ないそうである。だからかならず羊飼いが必要となる。聖書では、人間をこの羊にたとえ、主イエスを羊飼いにたとえている。私たちは羊のように、自分の力では人生の目的地を知ることも、そこに向かうことも出来ない。そんなときに羊飼いである主イエスは、私たちが何のために生まれ、どこに向かって進むべきかを教えて下さるのである。私たちが主の足跡をたどって歩む時、迷わずに正しい道を歩めるのである。

 『お天気』(河野 進)
 にわかに降り出した、今までの晴れをすっかり忘れてうろたえる、
 急に晴れた、今までの雨をすっかり忘れてはしゃぐ、
 たえず心も体もお天気次第とは、たよりない たよりない。





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逆境は人生の教師 投稿者:敏・記  投稿日: 7月22日(火)01時47分5秒

・きょう(22日)が誕生日の方【贈ることば】『あなたは、わたしの目には高価で尊い。わたしはあなたを愛している』(イザヤ書43章4節)・祐子学姉(富士市)・るり子学姉(長野市)・浩子学姉(調布市)・久仁男兄/晴美姉結婚記念日(多摩市)・メンデル(オーストリアの聖職者、現代遺伝学の祖、1822年)

 私たちは自然から、それも動物の本能的に示す動きから、人生の大切な教訓を学ぶことが出来る。こんな話がある。
 十九世紀のイギリスの著名な政治家グラッドストーン氏が、ある日、スコットランドの田舎道を歩いていたところ急に天候が悪くなり、雪混じりの強風が吹いてきた。グラッドストーン氏が雪嵐の中をなおも歩いていると、一群の羊たちがくぼ地や木の下から出て来て、わざわざ風の吹きすさぶ丘の上に立っているのに気がついた。後日、彼は年取った羊飼いに出会った時その事に言及し、「羊は愚かな動物だ!嵐が吹いているのにわざわざくぼ地から出て来て、風当たりの強い丘の上に立つんだから」と言った。
 すると羊飼いは「いいえ、グラッドストーン閣下!もしあなたが羊だったなら、やはりそうなさいますよ。あのくぼ地にはかえって風が吹き込み、死の危険が有ることを羊たちは本能的に知っているので、あえて風の吹きすさぶ丘の上に出たのですよ」と答えたということである。
 私たちの人生も同じだといえないだろうか。繁栄や安楽や順境というくぼ地は魅力的であるが、かえって人生を堕落させてしまう危険がある。人が順境の時ばかり与えられているならば、自己満足と高慢に陥り、繁栄を許された神に感謝し頼ることを忘れてしまうからである。それに反し、貧乏や困難の逆境という嵐に負けず、堂々とそれに立ち向かうことによって、神にすがることや忍耐や謙遜を学ぶ。逆境は最も素晴らしい人生の教師となる。
 以後このグラッドストーン氏は、次のように祈るようになったという。「神よ、私が自分の巣に安住と楽しみを求めようとする時、巣の中にいばらを置いて私を安楽な巣から飛び去らせて下さい」と。小原国芳先生もよく好んで「逆境の恩寵」という言葉を色紙に書いて下さったものである。私たちも安楽にあぐらをかくことなく、苦難の道を勇者のように歩まれた主イエスにならって、堂々と歩んで行こう。





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先ずは目前の一事に全力を 投稿者:敏・記  投稿日: 7月21日(月)01時29分40秒

・きょう(21日)が誕生日の方【贈ることば】『あなたは、わたしの目には高価で尊い。わたしはあなたを愛している』(イザヤ書43章4節)・知和学姉(横浜市)・威子学姉(相模原市)・昭学兄(町田市)・ヘミングウエー(アメリカの小説家、1899年)・波多野精一(宗教哲学者で「玉川学園」初代学長、1877年)《歴史メモ・第一階文化功労者に牧野富太郎博士ら三十四人決定(1951年)・破壊活動防止法公布(1952年)・世界初の婦人首相バンダラナイケ夫人、セイロン国に誕生(1960年)》

 昨日かかげた聖句『小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です』(ルカ伝16章10節)は、私たちの実行如何によって、人生の勝利か敗北かの分かれ目といっても過言ではない。
 私たちは、「生きる目的」を心から実感するためにはどうしたらいいだろう。「目的」を掲げるのが人生ではなく、「目的に向かって活動あるのみ」であるのを忘れてはならない。どんなに思索が深くても、それはあくまでも頭の中でこねまわしている段階に留まっているわけで、実りは得られない。
 とにかく先ずは祈りを以って行動に移すことである。行動を起こすこと、これしかない。もし私たちが信仰の土台に立って活動するならば、神さまは無責任なお方ではないから、かならず恵みを与えてくださるのである。小さな事柄の中で生きる事実を積み上げて行ってはじめて、隠された大きな才能も花開いてくる。
 今朝も、或るテレビドキュメンタリーに登場したホテルマンのことを取り上げてみたい。彼は、赤字に陥ったアメリカ中の大ホテルを幾つも再建させた腕の持ち主だった。たとえば、依頼を受けて訪ねたホテルのロビーのソファの後ろに置かれた観葉植物の葉っぱが、背もたれの上に少しかかっていることを見逃さなかった。坐ったお客の肩に露が落ちるかも知れないことを心配したのである。
 彼のように、些細なことであっても気づきおろそかにしない人は、大きなホテル経営にも通じる「考える姿勢」が生まれて来る。他人の目を気にせず、これこそ大事だと思う基準に従って手を抜かずにやって行くこと、これが大事なのである。

 『中に』(河野 進)
 神の国は いつどこに?
 いま ここに、 愛の手の中に、 謙遜な足の下に、 主イエスの十字架の上に。
 
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