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(小宮路先生備忘録バックナンバー)
8/20〜8/24分
人生は短くアートは長い 投稿者:敏・記 投稿日: 8月23日(土)23時50分42秒
・きょう(24日)が誕生日の方【贈ることば】『あなたは、わたしの目には高価で尊い。わたしはあなたを愛している』(イザヤ書43章4節)・かおり学姉(町田市)・真帆学姉(豊玉北)・トルストイ(ロシアの作家、1817年)・滝廉太郎(作曲家、1879年)・若山牧水(歌人、1885年)《歴史メモ・ヴェスヴィアス火山の大爆発(79年)・リンドバーク夫妻、北太平洋を横断(1931年)》*主日礼拝(聖歌隊練習、ハンドベル練習)
昨夜は「8月・東京牧心塾」だった。土曜日の貴重な休日を返上して、遠くは栃木市や久喜市から、或いは茅ヶ崎や藤沢など3,4時間もかけて参加して下さった方もおられ、気の引き締まる思いだった。きっとわが家に帰り着いたのは真夜中だっただろうと感動を覚えた。遠方から駆けつけて下さる同人の方々に感謝すると同時に、これからもそんな同人の方々と固くつながって行きたいと思う。
ところで昨夜の学びの中で、日野原重明先生のステキな詩作品を紹介させていただいたのだが、せっかくメモを取っておられた方には早口で不親切だったため、改めてここ「備忘録」で取り上げて味わってみたいと思う。
『人生を輝かせるためにアートを』(日野原 重明作)
あなたたちは、
日本の祖先が夢にも考えなかった 戦後の負い目を負って生まれてきた、
あなたの親たちは
日本を工業とサイエンスと経済で立ち上がらせようと 必死に努力してきた、
「人生は短くアートは長い」という古き賢者の教えを退けて ひたすら働いた、
昼も夜も、
だが私たちの人生に いのちを注ぐものはアート、
あなたたちは 自分のため また次の時代をつくる、
子どもたちのため 絵か 音楽か 美術か 文学かを 親しい友とすることを始めてほしい、
アートは、
あなたのいのちを 子どもたちの いのちにつなぐもの
アートをはらむことで、 あなたたちもまた若返る。
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不充分の充分 投稿者:敏・記 投稿日: 8月23日(土)03時00分57秒
・きょう(23日)が誕生日の方【贈ることば】『あなたは、わたしの目には高価で尊い。わたしはあなたを愛している』(イザヤ書43章4節)・奈未子学姉(厚木市)・ヘンリー(イギリスの詩人、1849年)*定例「東京牧心塾」(17:45分〜20:30分、玉川学園文化センター集会室)
北京オリンピックもいよいよ後半に入り、一昨日は日本女子ソフトボールチームの優勝に日本中が湧き立ち、次の日は男子の野球では日本が韓国に負けてしまい落胆するといった悲喜こもごものこのごろである。
さてこのオリンピックに参加し競い合う選手たちのことだが、彼らが幼少の頃から身体に恵まれていたかというと、案外とそうではなかったのだという選手が多い。そういう人がなぜオリンピックに出るほど強くなったのだろうか。識者は次のように解説していてうなずかされる。『私たちは健康に恵まれている人ほど、「大丈夫だ」と思って身体を使い切らない。いや使い切る必要がないと思ってしまう。むしろ弱い人のほうが安住出来ないで(不充分だの思いで)かえって鍛える努力をして、二倍にも三倍にもしてしまうのである。
かの経営の神さまといわれ91歳まで生きられた松下幸之助さん(松下電器の創立者)は、「どうして現在のような偉大な経営者になれたのですか?」と尋ねられた時に(質問者は内心「○○があったから」とか「○○に恵まれたから」などの返答があるものと期待していた)、松下幸之助氏はこう言われた。「無いものが三つあった。それが今日の自分の進歩をもたらせたのです」と答えたという。「まず一つ目は、事業をして行くためのお金が無かった。二つ目は、やれハーバード大学だの東大だのという大学卒で無く、小学4年生半ばで終わったように学問が無かった。これがよかった。三つ目は、幼少の頃から身体が弱かった。あとから病院や学校を建てたが、それがきっかけになっている』と。
『今日と明日』(河野 進)
今日へりくだる者は 明日高くされ、 今日高ぶる者は 明日はずかしめられる、
今日悲しむ者は 明日なぐさめられ、 今日傷つく者は 明日癒やされる、
今日冷たい者は 明日はだかにされ、 今日暖かい者は 明日めぐまれる、
今日怠る者は 明日まずしくされ、 今日汗する者は 明日豊かにされる。
聖書のことば『主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。』
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世界が必要とするのは「正直な人」 投稿者:敏・記 投稿日: 8月22日(金)01時48分46秒
・きょう(22日)が誕生日の方【贈ることば】『あなたは、わたしの目には高価で尊い。わたしはあなたを愛している』(イザヤ書43章4節)・すみ江学姉(横浜市)・隆学兄(相模原市)・かおりちゃん(長野市)・ドビュッシー(フランスの作曲家、1862年)†島崎藤村没(作家、1943年)《歴史メモ・東京の電車、運転始め(1903年)・IOC総会、柔道を五輪正式種目に決定(1960年)》
古代ローマの熟練した彫刻家や石細工職人たちは、自分の作った作品に、Sin Cera(シン・セラ)という文字を刻んだと伝えられている。これは「蝋(ろう)引きをしていない」という意味のラテン語だそうである。言い伝えによると、未熟な彫刻家たちは、時々、彫刻刀を滑らせてしまってとんでもない所に線を刻んで失敗をすることがあり、そのような場合に失敗を隠すために、失敗した部分を蝋で繕い、失敗していないように見せかけるそうである。そして完成した作品は、失敗の無い物として売ったというわけである。何だか、偽り品がまかり通り後から暴かれている現代の日本のようである。
ところが、本格的な彫刻家や正直な職人たちは、蝋を使うことは拒んだ。そういうわけで、このSin Caraという言葉から、英語のSincere→正直・誠実などを意味する言葉が出来たと言われている。
ニセ物が多い今の時代に、正直、真実であるべきだという最大の理由は、何といっても『隣人に対して偽ってはならない』と命ぜられた、聖書の愛の神との正しい関係からはずれないためである。この「備忘録」でよく登場するアメリカの宗教家E・G・ホワイトは、「世界で最も欠乏しているのは人物である。それは、売買されない人、魂の奥底から真実で正直な人、磁石の針が変わることなく南北を指しているように、天が落ちかかろうとも正しい事のために立つ人、そういう人である」と述べている。私たちがどんな場でも最も必要とされる人物となるためには、心底から正直で、真実であることである。そのためには、キリストの心を心とする生き方をするしかない。
聖書のことば『その霊(心)に偽りのない人はさいわいである』(ヨハネ1章47節)
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メンテナンスにかち合ったため、遅れて「備忘録」を 投稿者:敏・記 投稿日: 8月21日(木)08時46分39秒
・きょう(21日)がお誕生の方【贈ることば】『あなたは、わたしの目には高価で尊い。わたしはあなたを愛している』(イザヤ書43章4節)・桃乃学姉(府中市)・朗子学姉(長野市)・マードック(イギリスの発明家、1754年)《歴史メモ・ヘンデル「メサイヤ」を作曲完成(1741年)》
『影響力』(河野 進)
有名な読書家ウイリアム・バークレーが書いている、
「賀川豊彦に次のような詩がある、“誰でもただ歩き廻ることは不可能である、
人間はかならず なんらかの影響力を持ち歩いている、
都会で田舎で会うすべての人に すれちがう人々にさえ 何らかの影響力を施している”」
人間性も人間味あふれる先生に接すると、自分もああいうふうになりたいものだと思う。そう思っていると、話し方から歩き方までその先生の真似がしたくなり、その言動を見ただけで親しみが湧いてくる。ここが人間の最も大事なところである。どんな学説を学んだかよりも、どいう人物に接したかということが、いつまでも刻み込まれるものである。そして自分のほうも、そういう人になりたい。
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同情にとどまらず愛の実践をするのみ 投稿者:敏・記 投稿日: 8月20日(水)02時27分2秒
・きょう(20日)が誕生日の方【贈ることば】『あなたは、わたしの目には高価で尊い。わたしはあなたを愛している』(イザヤ書43章4節)・陽子学姉(横浜市)・博子学姉(富士市)・真佐子学姉(多摩市)・尚哲学兄(北佐久郡)・淳子学姉(小山市)・けいこ学姉(富士市)《歴史メモ・日本放送協会創立(1926年)・新清水トンネル“約13・5キロ”貫通(1966年)》
アメリカの或る著名な伝道者が「真の宗教は、制度や信条や儀式にあるのではなくて、それは愛の行為を実行すること、他人に最高の幸福をもたらすこと、真の親切さの実践にしかないのである」と述べている。聖書の中で、どのような理由があったにせよ、他人の苦悩に対して心が動かされず、助けようとしなかった祭司やレビ人は宗教家とは名ばかりの人たちだというのである。それに比べサマリヤ人がなした行為は、まさに真の宗教が根ざす本質をあらわしていた。彼は、傷つき倒れている旅人を見て、先ず「気の毒に思った」そして「即座に助けた」のである。
世には助けを必要としている人に対して、同情をする人は大勢いる。しかし、その同情が実際に効果的な行為となって相手に伝えられない限り、役には立たないと主は語られるのである。すなわちサマリヤ人は、困った旅人を気の毒に思ったばかりでなく、旅人を具体的に助ける方法を知っており、その助けをしっかり実行した。このサマリヤ人は、見て見ぬふりをして、関わり合いをせずに通り過ぎて行こうとしたらそれでもよいじゅうぶんな理由を持っていた。なぜなら相手が普段から自分たちを軽蔑しているユダヤ人であったし、自分自身もやらなければならない忙しい仕事を持っていたからである。しかし目前に助けを必要としている人を見て、放っておくわけにはいかなかったのである。
世の中には同情をし、助けたいと思っても実際に助ける方法を知らず、結局その親切心が相手に伝わらないということが度々ある。愛の実行力!これを身につけるためには、遠く人いる人に対してでなくてもいい。もっと身近なわが家の家族、職場の同僚や教え子などに対して、サマリヤ人のように、普段から行動で愛を示すことが出来るように実践することである。主イエスは、ご自身の話す「よきサマリヤ人」の話を聞いていた人々に対して、「あなたも行って同じようにしなさい」といわれたが、これは現代の私たちに対しても語られた言葉として受けとめたいのである。
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